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○○で何が悪いっ! 最終話

 先にブロウを抜け出た魔断が地面に降り立つと、すかさず盗に手を差し伸べ、自分のほうへと引き寄せた。
 ディメイションブロウは空間と空間を「穴」で結ぶようなイメージになっており、出現先の穴は1.5mほどの位置に開くため、慣れていないと着地に失敗し、後から来る人に押しつぶされてしまうことになるからだ。
 盗に対して何も説明することなく魔断が飛び込んだのは、自分がフォローをしてあげればいいと考えていたためであり、片や盗は盗で猫を彷彿とさせるしなやかな動きで危なげなく着地した。とはいっても、そのままでは間蔵爺さんが上から降ってきてしまうため、魔断は盗を引き寄せる――が、盗もそれは気づいていたようで、引っ張る力と進む力が同時に働いた結果、飛び込むように魔弾の胸に盗は抱きつく形となる。
「おっと――」
「あ……」
 受け止めながら魔断は盗を、盗は魔弾の、互いの瞳に映る己の姿を認めた時――、
「お主ら余裕じゃのぅ……、こんな場所でいちゃつくとは――そもそもじゃっ!なんじゃっ!どっちなんじゃっ!!勇者殿よっ、お主は泡姫のことをこれから護ってくれるんじゃなかったのかのっ!!そんな見境なくおなごを抱きしめるお主に孫はやれんのっ!!――もっともやる気はないがのっ!!」
 間蔵爺さんの怒声が響く――も、
「あ、ゴメンな――盗」
「ううん……ありがとう、おにいちゃん」
 既に二人は間蔵爺さんに対してスルースキルを発動させていた。
「ここだな」
「だねっ」
 二人は意識を泡姫に向けその位置を確認すると互いに頷き合い、目の前にある白を基調とした洋風の建物を見上げた。中央の一角だけ背が高く、その先端には十字架がそびえ立っている。それ以外は豪華な2階建ての一軒家という佇まいである。再び視線を戻してもう一度頷き合うと、玄関を求めて――、泡姫の家の玄関を探しに歩き出した。
 一人淋しくて涙を流す間蔵爺さんを後にして……。
 とはいっても、そこは敷地的には普通の一軒家。人目を避けるためか、ブロウは敷地の外からは見えない位置に設置されていたが、半周も歩けば難なく玄関へと辿り着いた。
 そこには両開きの扉が立ちはだかっていたが、魔断と盗がその前に立つと、音も立てずに勝手に外側へ向かって開いた。
「入ってこい――ってことか」
「う、うんっ……いよいよ、だねっ」
「いよいよ――まあ、いよいよか……?時間にしたら1時間ぐらいのものだけど」
「そんなことないよっ!いよいよはいよいよだよっ!気分的な問題だよ、ついに魔王の居城だよっ!!」
「居城ってより住宅って感じだけど――まあいいかっ」
「そうだよふいんきだよふいんきっ!」
「うん、そうだな。雰囲気だなっ!!」
「ふん――?ふいんきだよふいんきっ!!」
「ん、うん、まあ、うん。それはいいよ、もう」
 魔断が来た方向へと視線を向ければ、間蔵爺さんがとぼとぼと歩いてくるのが見える。
「間蔵さん早くいきましょう?」
 声をかけた瞬間魔断にも、彼の声につられて間蔵爺さんへと顔だけを向けた盗にも、その表情が輝いたのが分かった。分かって魔断は頭を抱えたくなり、盗は魔断にローキックを入れていた。
「がっはっはっはっ!そうじゃろ?やっぱそうじゃろっ?!儂がおらんと心――」
「うん、盗。ごめんな?俺が悪かったよ」
「ううん。アタイこそ思わず蹴ってゴメン」
 謝る魔断の背中を優しく叩いて慰めがなら、盗は二人だけで屋内に入ろうと促す。
「うむうむっ!来たぞいっ、誰がってっ?!儂じゃあっ!!」
 しかし、そんな二人が漂わせるどこか哀愁にも似た空気になど怯む前に気付きもせずに、間蔵爺さんは二人の後ろに駆けつけ、その右肩と左肩をバシバシと叩く。
「「――――――――――」」
「さあ儂の息子の家じゃて。遠慮するこたぁないっ!行こうかっ!!」
 3人はそのテンションの大きな隔たりを抱えながらも玄関の軒を潜った。魔断と盗は意思の疎通無くその場に立ち止まる。
 確信を持って。
 そして間蔵爺さんがまた二人の肩を叩く前に、左右に分かれた。
 確信を持って。
「なんじゃどうした?心配いらん儂がおるんじゃぶっ!!」
 間蔵爺さんの声が、硬いもので硬いものを打ち付けた音が聞こえたのと同時に途切れ、二人が離れたことで生まれたスペースへとその身体が倒れ込んだ。
 魔断と盗の確信通りに。
 魔断と盗は室内へと足を踏み入れた時、二人はあえて背後に一人分にわずかに足りない分だけ足を進めていた。そこに間蔵爺さんが詰めかけたわけだが、そんな老人の頭を勝手に閉まった両開きのドア(・・・・・・・・・・・・・)がしたたかに打ちつけ、また自身の自信に胸をそびやかしてたことも災いし、結果間蔵爺さんはモンスターでもトラップでもなく、正常に作動した建物の設備のせいで、到着早々意識を失った。
 そしてそんな間蔵爺さんに一瞥もくれることなく、魔断と盗は見た。
 周りの風景が歪むのを。
 歪み現れるのを。
 壁際で揺れるろうそくの炎を。
 レンガ造りの通路を。
 これぞ魔王の居城。
 その通路の両脇には等間隔に悪魔をモチーフにした像が設置されていた。
「これ、きっとどっかのやつ動くよな」
「間違いないねっ!」
 もう少し観察してみれば、通路は一直線ではあるが、その途中途中には木造の重そうな扉があるのが分かった。
「――ねぇ、おにいちゃん?」
「――わかってるよ……これってあれだよな?」
「あれだよね?」
 魔断と盗は迷うことなく一番近くにあった扉へと駆けつけ、勢いよくドアを開いた。
 辺りにはけたたましい音が響いたが、今の二人にとっては些細なことだった。
「引き出しあけてもいいんだよなっ!!」
「アタイ、タンスとクローゼットいくぅ~っ」
 言うなり始まる、探索という名の家探し。
「お、おいっ!さすが魔王っていうだけあるぞっ?!なんだこのでけぇ宝石の付いた指輪っ!」
 机の引き出しから魔断が見つけたのは、箱に納められた指輪だった。
「おにいちゃん、アタイも見つけたよっ!ドレスと髪飾りっぽいのっ!」
 口ではどうのこうのと言いながらも、魔断も盗と同じようにこういったシチュエーションに憧れてはいた。ここが魔王の居城だということなら、文句なしで勇者パーティーとしての自分たちの権利だと、アイテムを見つけては引っ張り出していく。
「おい盗っ!これから決戦になるかもしれないんだから、ちょっとそれ装備してみろよっ!よくあるじゃん、魔王の城に強い装備が隠されているとかさっ!」
「う、うう~ん。でも、無理だよぉ」
「なんでっ!」
「だってサイズ逢わない」
 盗が自分で体に当ててみれば、確かに彼女が見つけた装備類は、どれもこれも彼女のサイズよりも大きいものばかりだった。当然、盗が群を抜いて小さいからなのだが。
「まあ、しかたがないよな……。サイズじゃなぁ」
「うん――。なんか変なところで現実だよねっ!そうせならアタイのサイズに自動補正がかかってもいいじゃないねぇ?」
「いや、な?これ、現実だからな?現実っぽくないかもしれないけれど、現実なんだから。服に自動補正かかるわけないだろ?」
「ぶぅ~」
 盗は頬を膨らませ、唇を尖らせる。
「アタイなんてまだ何にも装備持ってないのにぃ~」
「まあ、そういうなよ。ここから帰ったらそれ売ってちゃんと身体にあった装備買えばいいだろ?そういうお店はちゃんとあるからさ」
「えっ!それほんとっ!」
「じゃないと、俺たちも飯食えないしさ」
 でも、と魔断は心の中で付け加える。だからこそ親父もお袋も仕事してるんだけどさ。
 この今の世の中に、狩りによって得た収取品で生活していくには限度というものがある。まず第一にそもそも「獲物」の数が少ないことがあげられる。文明の発達に伴い、未開の地は開拓され、開発され、当たり前のように人が住まうようになった。当然それに応じるように「獲物」は駆逐され、管理され、住処を奪われた。結果として現代の狩りのその多くは、昨夜魔断たちの前に現れた「魔」を対象としたものであり、ひいては魔族ということになるが、その多くは普段この地球とは薄皮一枚程度の異相に存在する「魔界」に生息しているため、こちらから積極的に狩りに出かけることが非常に難しい。
なので、勇者などを始めとする彼らの多くは一般の大人たち同様に一般的な仕事についている。むしろ現代ではそちらが本職になっている者の割合のほうが圧倒的に高い。狩りなどは、使命感を満たすための実益を兼ねた奉仕活動といった程度というのが現状であり、警察などの公的機関や法整備が発達した今となれば、そもそもその需要は少ないからだ。
「じゃあおにいちゃん後で連れてってよぉ~」
「ん。この後の楽しみが増えたな」
「うんっ!」
 こうしてパーティー内の士気を上げることも、勝利を掴むためには重要なファクターであることを魔断は知っている。
――うまくノせることができたかな?でも、盗は身のこなしはともかくとして素人なんだし、俺がしっかり護らないとな……――
 これから先待ち受けているのは自称とはいえ魔王を名乗る人物だ。おまけに魔族も控えている。今の魔断にできそうなことを考えれば、恥を忍ぼうとも逃げの一手も考慮しておかなくてはならない。
 何より大事なことは、一人も命を落とすことなくこの状況を打破することであって、今回に限って言えば、魔王を打ち滅ぼすことではないのだから。
「そろそろ次の部屋に行こうぜっ!」
「だねっ!次はどんなお宝があるかなぁ。アタイなんかわくわくしてきちゃったっ」
 お気づきだろうか?二人の眼が「$」になっていることに。一刻も早く泡姫を助けに行かなくてはならないはずなのに、「次の部屋」を「物色」することを優先させていることに。
 若く、初めて野外ではなく城内を探索する二人にツッコむ者は誰もおらず、二人は次々とドアを開けては物色して回った。
 ダブルベッドの置いてある寝室では、
「お、おいっ!コレ、■レックスだぞっ!■レックスっ!!」
「おにいちゃんっ、こっちには指輪がたくさんあって、一緒に銀行の通帳もあったよッ!!」
「って、おい……。なんだよこの額――1Mじゃねぇぞ?いやウソだろおい……」
「すごいねっ!魔王の城すごいねっ!さすがラストダンジョンっ!太っ腹すぎるよっ!!」
 ベッドに横になることなく起きたままに幸せな夢を見、シンクのあるキッチンでは、
「そういや腹減ってね?」
「おにいちゃん朝ごはん食べてないもんね……」
「いや、朝は――まあ、食べてなくもないんだけどさ。そろそろ昼だろ?」
「あっ!おにいちゃんなんか缶詰あったっ!」
「ん?なんだこれ??きゃ――び……あ?きゃびあ。キャビアっ?!」
「なにそれすごいの?」
「なにって、あれだよっ!世界三大珍味だろっ!!やべぇおれ喰ったことねぇよっ!!!」
「よく分からないけど凄いねっ!!コレなんてハムだろ?」
「ん?なになに?ふぉーあー、ぐ――」
 塩漬けされた真っ黒な卵のあまりの塩辛さに食べれないと判断しゴミ箱へと弔い、ガチョウの脂肪肝は脂臭いとの理由で同じくゴミ箱へと弔った。ついでに見つけた白トリュフはそれと気づかずかじった挙句、感想が「木っ!(盗談)」で同じくry。
 下着入れを物色した結果、正方形の形をした袋を発見し何やら丸く浮き出ている中身に興味を持った盗が破いて魔断が赤面したり、盗が洗濯機の中から女性ものの下着を引っ張り出して広げて見せれば魔断が赤面したり、先に部屋へ入った盗を追い駆ければ彼女が入ったそこはたまたまトイレで、ついでに用を足そうとスカートの中から下着を下におろしかけている彼女の姿をまともに見た魔断が赤面したりした。さすがに最後のは盗も赤面したが。
 そんなこんなと厳しい戦いを乗り越えて、ようやくたどり着いた通路の一番奥。
 そこにはそれまでの扉と違い、禍々しい意匠の施された両開きの鉄の扉が待ち構えていた。ちなみに、廊下の湧きに設置されていた像が動くことは一度もないままに。
「ようやくたどり着いたな」
「うんっ!ねぇ、早く這入ろうよぉ~」
 二人はホクホク顔で言葉を交わすと、その表情のままに鉄の扉を魔断が押し開けた。見た目とは打って変わってしっかり手入れされているらしく、音も立てず押されるがままにドアは開いていき、部屋の全貌を明らかにした。
 そこは昏い空間だった。
 魔法によって空間が操作されているせいか、そこは外観的には入口に近いはずの一番高い十字架を掲げた教会と同じ高さの天井を持つ室内であり、台座には聖母マリアではなく魔界の王と呼ばれるサタンの像がその禍々しい顔で魔断たちを睨み付けていた。
 陰湿な空間を演出する為なのか、はたまた死霊の嘆きか。すすり泣く声が聞こえる。それも一つではない。
 辺りを見回すも人影らしきものは見当たらず、盗はもとより魔断でさえも薄気味悪さを感じずにはいられなかった。
――お、おにいちゃぁん――
 声を出すことさえ、なんらかの凶事の引き金になりやしないかと怯えた盗は、パーティーチャットで魔断にすがるような声を上げた。
――任せろ――
 ここで自分まで怯んでは、最悪盗がパニック状態に陥ってしまうかもしれない。これまでが浮かれ気分だったからこそ、あまりにも「らしい」この部屋の雰囲気は、あっさりと二人の足元を掬い上げていた。魔断自身もそのことを自覚しており、先ほどまでの自分たちのことを思い出して歯噛みした。
 魔断はここが敵地であると自分に言い聞かせ、音を頼りに慎重に向かっていった。
 祭壇を見上げるように設置された長椅子の間を抜けていくと、魔断は音の正体を知った。
「なっ」
「ひぃっ、なになに、どうしたのどうしたの、やばいの?やばいんだよねっ?!おにいちゃぁぁぁんっ!」
「う――くっ、ひっ……く、うぅうぅぅぅ」
「あんまりだ。あんまりだぁ~」
「へ――?」
 魔断に遅れることしばし。
 泣き声の主たちを盗も見た。
 そこには3人の男女が力なく膝を床に着きながらも、それでも互いが互いを励ますようにしながら、それでいて縋り付くように、力強く肩を抱き合って涙を流していた。
 そして、その中の一人を魔断も盗も知っていて――、
「泡姫?」
「泡姫ちゃん?」
 よくみれば先ほど泡姫を抱えて間蔵爺さんの家から飛び去った彼女の母親も、その輪に加わってさめざめと涙を流していた。
「魔断さんのおにちくぅ~、おにちくぅ~。うぅうぅぅぅ、下着ぃ~お洗濯前の下着ぃ~見られましたぁ~」
 泡姫のその一言に、魔断も盗も心臓に後悔という名の悔い――ではなく、杭を打ち込まる思いだった。走馬灯のように脳裏をよぎるあの時の風景。
 盗が笑顔で泡姫の色は純白でありながら布地面積が少なめのレースがふんだんにあしらわれたショーツを広げて見せて魔断をからかい、魔断は魔断で「やめろよぉっ」などと弱々しい声で言いながら、指の隙間からちらちらとでありながら結果としてしっかりとその全貌を網膜に焼き付けていたあの時の愉しい思い出。
「■レックスぅ、初めてのボーナスだけでは結局支払いきれずに、翌々年の夏のボーナスでようやく完済した思い出の僕の■レックスうぅぅぅうぅぅぅぅぅ」
「指輪がっ!あなたにもらった結婚指輪がぁ~。アタシの宝物がぁっ。
 それにキャビアっ!フォアグラっ!!白トリュフっ!!明後日の結婚記念日にって楽しみにしてたのにぃっあんまりよ、あんまりよぉ~」
 二人はこの目の前の惨状を目の当たりにし、慟哭によって呼び起される記憶から、ここが泡姫の家であることを思い出していた。
 魔王の居城だろうがなんだろうが、ここに在るものはすべて泡姫の家族の持ち物であったことを。
 魔断は一気に血の気が引く思いだった。
――あれ?俺勇者なのに?あれ?ここでやってたことって、要するに泥棒?――
 愕然となる魔断を見て、
――大丈夫だよっ!――
 盗が励ます。
――だっておにいちゃん勇者だもんっ!勇者って人の家からへそくりとっても、お家の人怒らないじゃないっ!!それにこの人たちが泡姫ちゃんのお父さんとお母さんなら、魔王と魔族だよっ?!誰にも責められないってっ!!!――
――そっ、そうだよなっ??――
 一瞬等の言葉にうなずきそうになりながらも、魔断は目の前で「おにちく」を連呼する泡姫を見て、
――だめだろっ!!助けるはずの本人が、あれだけ嫌っていた家族と肩抱き合って泣いてんだぞっ!!泡姫が泣いてんだぞっ!!!――
――でっ……――
 視線を宙で彷徨わせ、バツが悪そうにニャハハハと笑いながら、
――ですよねぇ~――
 盗は自らの発言に無理があったことを認めた。
 「おにちくぅ~おにちくぅ~」と泡姫が連呼する度、魔断の胸にグサグサグサと言葉がその奥に音を立てて突き立つ。
「あ、あのぅ。そのぉ~」
 盗が申し訳なさそうに一家に声をかけ、魔断もそれに続いた。
「「ごめんなさい」」
 二人揃って頭を下げる。
 途端にぴたりと泣き声が止んだ。
 ここが魔王の居城であり、相手が魔王であることを思えば、その変わり身の早さに嵌められてしまったのではないかという疑念がよぎる。
「ごめんなさい。これ――お返しします」
「う、うんっ!アタイも返すっ!」
 ズボンのポケットやらに溜め込んできたそれを、二人は涙を湛えた瞳で見上げる夫婦へと差し出した。泡姫の両親は一度視線を交わすと、
「――うぅっ。ありがとう」
「やっぱり泡姫ちゃんが選んだ子たちね」
 そういって素直に受け取り涙を拭った。
「こちらこそ大人なのに泣きわめいたりして悪かったね」
「でもね?私たちにとってそれぐらい大事なものだったということは判ってね?」
――あれ?なんだこれ?なんか恐ろしいぐらいいい人たちだぞ?――
――油断したらだめだよっ!演技かもっ――
 盗がそう反論するも、
――そう見えないから困ってるだよ――
――あ、なるほどぉ……たしかにそだねぇ。あ、おにいちゃん。これ、おにいちゃんから返してよ――
――ん?あ……、マジか――
 盗が魔断にだけ見えるように差し出してきたのは、純白のドレスだった。
「あのぅ、すいません。こちらももちろんお返しします」
「ほら、泡姫?彼らもこうしてちゃんと返してくれるんだ、な?もうそんなに『おにちく、おにちく』いわないでいいだろう?」
「そうよ泡姫ちゃん?許してあげてっ?行き過ぎたところはあったかもしれないけれど、あなたが話した通りになったじゃない」
 ――?違和感を覚える。別にその違和感がなんなのかが分からないというわけではない。
 その違和感を認めたくなくて、魔断は必死にその違和感を打ち消そうとしている自分に違和感を覚えた。
「いいえ――許せません……」
 その瞬間この部屋の中から音の一切が消えた。
 泡姫から吹き出し瞬く間にこの空間を埋め尽くした瘴気によって。
「だから少し――、お仕置きしないといけませんね」
 彼女の薄い色の唇が紡ぐ。
「セントラル フィギュア」
 魔断でさえ初めて耳にした装着単語。
 瞬間的にこの教会内を埋め尽くしていた瘴気が先ほどはなたれたときとは今度は真逆に彼女の中へと収束するように飲み込まれていった。
「あ、ああっ、ああんっああぁぁあああぁぁぁぁぁぁ……」
 艶めかしい声を上げて、彼女の姿が闇の卵に覆われ見えなくなった。
 魔断は顎の下を拭い気が付いた。ぬるりとした感触に、自らが激しく緊張しているのだということをいまさらながらに。
 黒い光沢さえ返す、黒曜石のようなその卵を見て遅ればせながら魔断も叫んだ。
「ライト フィギュアっ!!」
 張り上げた声は自らを鼓舞する為。声を出して自らの緊張を少しでも吹き飛ばす為。
「盗さがってっ!!」
「う、うう――うんっ!」
 すると泡姫の母親が盗を後ろから抱えて、
「あなたは――まだ戦えないのね。お願いだからじっとしててね?」
 宙へと飛んだ。
「ライト フィギュア」
 続けて聞こえた声に魔断が振り向けば、そこには彼女の父親が僧衣に身を包んだ姿があった。
「いい感です――。あの子を相手にするなら完全装備ぐらいはしないと、無理ですから」
 申し訳なさそうに、情けなさそうに笑う。
 魔断は視線を卵へと向け直しながらも泡姫の父親へと声をかける。
「まさか、魔王と共闘することになるなんて思いませんでしたよ」
 同じように油断なく視線を中空に浮かぶ卵へと向け、
「あなたたち、泡姫から私たちのことをなんて聞いていますか?」
 返された言葉に魔断は眉を顰め、怪訝に思うが故に、また当の本人であることもあり、戸惑うような声で素直に答えた。何が起きているのかを正確に理解するために。
「ネグレクトを受けている――と」
 その一言に泡姫の父は頬を引きつらせ、
「違います、逆ですよ」
 哀しみか、怒りか、恐怖か、あるいはそのすべての感情の為にか震える唇から思いを吐き出した。
「彼女こそが魔王なんですっ!!」
 思わず魔断はあんぐりと口を開け、実の娘を断罪するように叫んだ父親へと視線をやる。
「ドメ受けているの私たちのほうなのよぉ」
 肯定するように彼女の母親も。
「ちょ、ちょっと、間蔵さんが言ってたこととも矛盾してるんですけど」
 今まで聞かされて続けてきた状況とあまりにも異なる説明に――しかし、目の前の光景から、皮膚を肉ごと骨まで押しつぶそうとするかのように感じる圧倒的なプレッシャーを感じている魔断は、縋るように真実を求める。
「考えても見てくださいっ!息子である僕の言葉と、溺愛する孫の言葉っ!あの父がどちらをとるのかをっ!」
 しばし沈黙が場を支配した。
 それは悲しいまでの理解の表れ。
「あ、あぁ~。ああああああああ」
 気付きそうで気が付かなかった真実を指摘されたことですぐに見つけられた時のように、間の抜けた、どこか悔しさを覚えながら叫ぶ。
「お分かりでしょう?早い話が、父は既に洗脳済みなんですよっ!」
 そのとき、ぴしりと音が響いた。
 辺りを再び緊張が支配する。
「いいですか?」
 まだ時間が多少あることを知っている泡姫の父は告げる。
「娘は――泡姫は、生まれた時からINTがカンストいえ、振り切っています」
「――はい?」
 そんな話聞いたこともない。
「INTだけではありません。軒並みのステータスはカンスト以上です」
「軒並み……って」
「しかも成長期……」
「どこの主神ですか……」
「ただ、性格は……ブラックですけど」
 魔断は思う。
 またでたよ、ブラック。
 ぴしっ。ぴしっ――ぴしししししししいぃッ!
 最初の亀裂から端を発し、まるで強化ガラスが砕ける時のように網の目のような細かな亀裂が覆い尽くした後、ガラスが砕けるような澄んだ音を立てて、卵の殻が割れ落ちた。
 魔断は唾を呑み込んだ。
 奪われてしまった。
 それを見た時。
 姿を現した泡姫を見た時。
 泡姫の姿は、装いは変化していた。
 目に入ってきたのは、彼女の母親から受け継いだかのような漆黒の翼。ただし形状は異なっていて、まるで猛禽類のそれのように全体的に丸みを帯び、その先端は互いに重なることなく鋭い羽先を晒していた。
 なにより、瞳が違う。
 真っ赤に染まり、その中央には肉食獣のそれのように盾に細長い瞳がより深い色を湛えて魔断のことを見据えていた。
 その唇は真っ赤なルージュを刺したように赤く艶やかに光を返し、彼女の白い肌も相まってより一層彼女の華やかさを引き立てていた。
 何より魔断が驚いたのは、その大きな胸――ではなく、その大きな胸を強調しながらもそれを感じさせない彼女の身に纏う衣装だった。
 胸元には真っ白なバラの花束を――ブーケを手にした彼女が纏っていたのは、先ほど魔断が彼女に差し出したウェディングドレスだった。
 泡姫がそこにいるだけで放出される、常人であればそれだけで気がふれてしまうだろう、妖気や瘴気や魔力に無防備にさらされながらも、魔断はそれらすべてを忘れてしまったように、
「綺麗だ」
 呟いていた。
 滑らかに光を返す純白のみで作られ、その装飾の陰影のみで彩られたドレスに翻る真っ黒な翼。それらに劣ることのない彼女の濡れた絹糸のような素肌。その小さな顔で異彩を放つ真っ赤な瞳。
 取り込まれていた。
 たった一眼で。
「勇者さんっ!気を確かにっ!あの子はパッシブで魅了を発動させています。これも生まれた時からっ!!
私たちは少しでも彼女の犠牲になる人がでないようにと、彼女が不遇の出会いに陥らないようにと教えようとしては着ましたし、実際通常の――人の姿をしているときはかなりの所を抑え込むことができるようになっていましたが、今の彼女だとその効力は当然にして最大っ!!
神域といっても過言ではありません」
泡姫の父は魔弾の肩を掴み揺するも彼の顔は相変わらず泡姫へと向けられたままだ。
「聞いているんですかっ!今のままでは危険ですと――そういったんです、なっ」
 そんな肩に置かれた手を魔断は無造作に払いのけた。そうされた泡姫の父親は驚きの声を上げ、下唇を噛む。もう、たった一瞬で手遅れなのかと。
 泡姫の父親や母親には耐性があり、またそれを防ぐ術をも知っている。
 母親に抱えられる盗は自然とその影響からは少なからず免れてはいたが、それでも胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。同性なのだとしても、だ。
 そんな魔断の様子を見ていた泡姫は妖艶に微笑んだ。
 耐性を得、防御策を施している両親ですらも一瞬どきりとする。
 魔断は吹雪の中でどうして寒いのかもわからない旅人のようにはかなげに見えた。
 そんな魔断を見て、泡姫はその朱を引いた唇を開いた。
「いい子ですね――魔断さん。そうです。あなたはそうやって私だけを見ていてくれればいいんですよ?他の誰でもない、私だけを。
 ただ、お仕置きはお仕置きです。このブーケが真っ赤に染まるまで、私が躾けてあげます」
 その一言に状況を正確に理解した彼女の両親は身体の中から体温を冷えた手で鷲掴みにされた思いだった。
 泡姫は言っているのだ。手の中のブーケを魔断の血で染め上げると。
「これ以上はもう駄目だっ!アイル行けるかっ?!」
「ん。もちろんよ正(ただし)」
 呪文の詠唱を始めようとした泡姫の父、正だったが――それは構えを取るさなかに遮られてしまう。
 瞠目する彼の喉元に、抜かれたことさえ感じさせない速度で、魔断が抜き放った剣の切っ先が薄皮を傷つけ、付きつけられていたからだ。それは暗に脅しではないことを雄弁に告げていた。
 下手に唾を呑み込もうとでもすれば、それだけで肉を裂くかもしれないという絶対的な恐怖がそこにはあり、抗議の声も罵声を浴びせることも許されない。脳内で圧縮されるばかりだ。
 横目で確認してみれば盗も何も言わずにただ黙って俯瞰している。それは魔断の行動を暗に肯定しているようにも見えた。
「泡姫のことを悪く言わないでくれませんか?」
 魔断は低い声で告げた。
 正は悟った。――もう駄目だ、と。
「俺はまだ子供です。親の気持ちなんてわからない――でも」
 正は眉をひそめたくなった。剣先のせいで僅かな表情筋の動きですらままならなかったが。
「親に決めつけられる子供の痛みは知っているつもりです」
 魔断は抜いた時同様に唐突に剣先を鞘へと納めた。正がそれを理解したのは、納刀を告げる音が聞こえたからだったが。
 魔断はゆっくりと泡姫へと歩を進めながら続ける。
「親が理解できない子供の才能を、自分が理解できないからと言って押しつぶそうとするのは間違いじゃないでしょうか?」
「だがっ、そうはいうがっ!!人として、進まなければいけない正しい道というものがあるだろうっ?!それを示すのは親の役目だっ!!」
 自分の中にある絶対的な責任感を問われ、正はたまらず反論する。
「そうですね……それはそうだと思います」
 でも、
「泡姫を誰が認めてあげるんですか?」
 魔断は視線を泡姫へと向けた。
 向けた先の彼女の表情は相変わらず微笑を浮かべてはいたが、先ほどまであった艶は失せていた。
 まるでそれは、微笑んでいるのに泣いているようで、啼いているようで。
「だれだって表があれば裏があるんじゃないですか?善があって悪があるんじゃないですか?信号は赤だから横断歩道を渡ってはいけない。でも緊急事態だから多少は許されるだろう。きっとお巡りさんが見ていたら許してはくれないですよね?」
「僕はそんなことをした覚えはないっ!!」
 自負の念を強めて応じるも、
「ええ、だから俺たちは納得できないんです」
 魔断は背中で訊きとめながら正面に言葉を発する。
「どうして不遇の人が走ったその先にいるのに、誰もそこに駆けつけないのかが不思議でならないんですよっ!!」
 魔断はここで怒声に近い感情の丈をあらわにした。
「盗――」
「ん……」
「お前と逢えて俺は本当によかったって思ってる」
「――ッ……」
 盗の意識が明瞭になり、半日ほど前の記憶が蘇る。声が届いた嬉しさを覚えている。
「泡姫、君もだ」
「…………」
「君が何者だって構わない。手が届く範囲なら、俺はどこへだって駆けつけるよ」
 泡姫は自分の視界がぐらりと揺らめくような、そんな錯覚に襲われた。魔力を足場に宙に浮いていることを自覚しながらも、足場のおぼつかなさに本能的な緊張を得る。
「遠くに行こうとしないでくれよ。
無理矢理手元に置こうとしないでくれよ。
 俺、いるからさ。
 ちゃんといるからさ。
 ちゃんと来るから、側にいるから。
 泡姫のこと許すだなんてそんな烏滸がましいことも、見当違いのことも言わないさ。ただありのままに泡姫を受け入れるから……。
 俺たちの所に帰ってきてくれよ。
 俺と一緒にいてくれよ」
 魔断の言葉が泡姫の胸に届く。彼女のぐしゃぐしゃに罅が入った透明な分厚いグラスに優しく注がれる。それが心地いい。それが淋しい。なぜなら、罅の隙間がその言葉をそこから染み出していくから。
「――何を知っているんですか」
 気が付けば声が口を衝いて出ていた。
「私の何を知っているっていうんですか――」
 右目を大きく開き、左眼は三日月を描き、右唇は吊り上り、左下唇を噛むという、歪んだ笑みをその顔に浮かべて。
 涙を静かに流して。
「私はもう言葉だけじゃ止まれないっ!!」
 泡姫の気配が膨らんだ。そのすべてがバスケットボール大の7つの黒い光球へと実を結び、彼女の周りを球状に旋回し始めた。
「魔断さん――だから、だからっ」
 7つの光球その一つ一つが、天頂に届いた時、彼女の手にするブーケへと吸い込まれていく。
 その光景に魔断は悟る。
「いいよ」
 悟り短く答える。あっけなく答える魔断に多少イラつきを覚えた泡姫は言う。
「馬鹿にして……」
「――――――」
 泡姫がブーケに込めた7つの光球の意味を魔断は正確に理解していた。
 それは7つの大罪。
 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
「これはあなたが思っているようななまなかなものじゃ――」
「いいんだよ」
 それでも魔断はあっさりとした口調で、
「受け入れるっていったろ?」
 いともたやすく答える魔断に、嘲るを交えて宣言する。
「まあ、私はいいんですけれどね??これを受けてあなたが耐えきれればそれでよし、耐え切れなかった時には『私好みの色』に染めてしまったというだけですから」
 最後の光球――嫉妬がバラに飲み込まれ、泡姫は下からすくい投げるようなポージングを取り、
「魔王の祝福あれ(ポイズン・ブーケ)」
 毒。
 それだけを聞いて何を想像するかは個人の自由である。たとえば、RPGあたりで状態異常ステータスである毒を受けても、たかが知れていると鼻で笑うのもそれはそれで事実ではあるし。
 しかし思い出してもらいたい。
 青酸カリという毒物を。飲んだら即死というイメージがあるあの毒物を。フグ毒を。もし既知であれば恐縮するばかりだが、知ってもらいたい。フグ毒と聞けばそこまで大それたイメージはないかもしれないが、実はその成分であるテトロドキシンの致死量は、口から摂取した場合青酸カリの850倍もの毒性をほこる。
 その上で想像してもらいたい。たった一つでさえ、人をその感情で狂わせるほどの劇薬を、7つ纏めた毒の花束のその恐ろしさを。
 肉体的には影響しない、精神を犯すその残虐性を。
 それまでの自分を蹂躙され、新しい自分を繕い強制するその無慈悲さを。
 ポイズン・ブーケそのものは肉体を犯さずとも、発狂する己の精神が肉体を死に至らせることさえ十分にあり得るということを。
 それは絶望と呼んでさえいい。
 そんな絶望が形を得たブーケは緩やかな弧を描き、寸分たがわず魔弾の胸に辿り着き、魔断が両手で受け止めるなり、それを無視するように彼の胸へと溶け込んでいった。
 魔断は全身が心臓になったかのような衝撃を覚えた。巨大な心臓が慄き拍動したかのような衝撃を。
 魔断の意思とは無関係に、纏った装備がはじけ飛び、元の私服姿へと戻る。
 荒れ狂う昏い感情の奔流が、魔断の意識を奪い取ったかのように凶暴性を発露させるが、やり場のない怒りをぶつけるように、彼は自らの上着をすべて引きちぎり、脱ぎ捨てた。
 そして対峙する泡姫以外は見た。とはいえ泡姫も当然知っている。
 魔断の背中に大きなバラの花が、ブーケを真上から覗き込んだ時のように7つの大輪を咲かせ、その白い花弁が彫り込まれていた。
「――いいましたよね?魔断さん?この花束を赤く染めると」
 次第にその白い花弁が脈動に呼応するように、血色へと変化してはまた白へと明滅し始めた。
「その花びらがすべて赤に染まった時、あなたは私のものです」
 宣言するように、命じるように、詫びるように、謝罪するように泡姫は告げる。
「見せてくださいっ」
 願うように。
「お願い――します」
 縋るように。
「助けて……」
 少女は自分の本音を、人としての本音を呟く。
「ぐぁあああっ、あっ、ああっ、ぐ――ぎぃいぃぃぇええあああああっ」
 しかしその声は魔弾の絶叫の掻き消された。
 瞬間的に鮮血のようにその花弁が濡れる。
 だんだんと白である時間が短くなり、逆に赤である時間が多くなっていた。
 魔断は自身の中で抗い続けていた。
 目の前で繰り広げられるのは、自分を中心とした物語。
 どれもが残酷な物語。
 それらは互いに絡み、別れ、また結んでは、解かれて、終わりのない激情に心が絶叫を上げる。それが同時に7つも展開されているという混沌の極み。
 結びつき像を得たかと思えば、話が終息したかと思えば、理解したかと思えば、分岐して魔断の心を引き裂こうとしてくる。
 7つの木の根が、自分の居所を確保するように、這いより、絡まり、心を奪い取ろうとしてくる。その度に梳られていく。
 涙を流し、涎を垂らし、鼻水を拭うこともできず、ただただ感情の奔流にさらされる。
「おにいちゃんっ、――ッ、おにいちゃんっ!!」
 泡姫と魔断を交互に見ながら、盗は魔断を呼ぶ。
 すでに喉元まで「泡姫ちゃんもうやめてぇっ」という悲鳴が出かかっている。
 けれども、彼女にはもうこれしかないのだということも理解している。
 それは、自分がまだ大人ではないから、これから先を知らないから、時間の経過というものを本当の意味で知らないからこその、子供らしい理想論なのではないかという疑念も抱えてはいる。
 だが、だからこそなのだ。
 だからこそ、泡姫の気持ちもわかるのだ。
 止められない。止めてはいけないっ!そんな言葉は今は不要なのだとっ!!
「おにいちゃんっ、がんばってぇ、がんばってよぉ~」
 頑張っている魔断にこれ以上頑張れということを残酷に思いながら、それでも繰り返す。
「おにいちゃんっ!アタイっ!アタイはっ!!今まで通りのおにいちゃんがいいっ!!!」
 繰り返すッ――。
「だから、がんばってよぉ~、耐えてよぉ~、もうすぐだよっ!きっとだよっ!!」
 抱えられた腕の中で懸命に声を張り上げる。
 魔断の絶叫に負けないように。耳には届かないだろう声が、心にこそ届くようにと。
「う――」
 そして、
「お……」
 魔断の眼が見開かれ、その目が昇天を結び、
「おおぉぉぉぉォオォぉぉぉぉォォぉおぉぉおぉオォおぉおぉぉォォオォオおおおおおおっ!!!!!」
 喉奥から雄叫びが迸った。
 そんな魔断に皆の視線が釘付けとなる。
 そんな魔弾の背中へ視線が向けられる。
 泡姫は唇を噛んだ。
 彼女には自らわかるのだ。
 見ずとも。
 盗は呆然としていた。
 やがてその眉がゆるやかに下がり、
「――そんな……」
 思いとは異なる現実に、俯く。
 バラの花弁は禍々しい赤をこれでもかと見せつけていた。
「おにいちゃん……」
 泡姫は気が付かず純白のドレスごと、自らの爪をその手に食い込ませていた。
 判っていた。
 ありえないって。
 だって、あれは人には制御しきれない。
 七つの大罪。
 己が身さえも本人も気が付かぬうちに終焉へといざなう、魔性の激情。
 わかっていたのに、わかっていたはずなのに。
 信じていた。
 期待していた。
 一方的に。
 勝手に。
 一人で。
 期待した。
 ――でも、これが現実。
 奇跡なんて起こらない。
 泡姫は切り替える。
 魔王の思考へと。
 魔王としてこの結果を結末にするために。
「さて――フィナーレです」
 自分に言い聞かせるように。
 自分に命じるように。
 その足がまるで見えない階段を歩くように魔弾の元へとその身を運ぶ。
 まるで心もとない。
 しっかり歩けている自信がない。
 けれども、魔断との距離はちゃんと縮まっている。
 泡姫の姿が近づくにつれ魔断は両膝を地面に付き、己の身分を示して見せた。それは畏まるようなものではなく、突如現れた絶対的な存在を前にした忘我の行動。
 彼の目の前に立って小さな安堵のため息を吐く。
 そして彼の顔を見た。
 焦点があっていながら、何も見据えていないガラス球に等しきその瞳を。
「誓いの――キスを……」
 泡姫の唇が魔断に迫る。
 魔王が定める魔王の従者としての魔王の契約。
 自分の色に染め上げるための最後の儀式。
 泡姫はゆっくりと唇を近づけて、彼の唇に触れた。
 触れたのは――涙。
 泡姫が屈みこむように唇を近づけたその時に、彼女の頬を伝うまでもなく溢れ出した涙の滴。
「う――、ううっ……――、――――――」
 こみ上げてくる嗚咽を噛み殺し、泡姫は無感情を装う。
 そしてもう一度仕切り直し、泡姫は魔断に唇を重ねた。
 彼女にとってのファーストキスはしょっぱかった。
 それが悲しい。
 どれだけ賢くても、思い通りになんてならない。
 それが悲しいのだ。
 いつも空回り。
 いつも台無し。
 挙句の果てには勘違いされて、され続けて、辿り着いた今だ。
 よき理解者になり得たかもしれない人物も、自分の手で切り捨ててしまった。
 どこまでも孤独。
 誰かはいるだけ。
外形のみのハリボテと何が違う?
目元をぬぐい、ぬぐい、ぬぐう。
前なんて見えない。
これまでも見えなかった。
きっとこれからも。
手探りで進み続けるだけ。
涙で歪む視界が、これから先をなかなか見せてくれない――違う、見たくないのだと理解するのに、そう時間はかからない。
「――んだよ、いい加減ショックだぞ、それ」
 ぴたり。
 泡姫の動きが思考が止まる。
 聞いた声が、聞こえるはずがない声だと気付いて。
 ついに、幻聴でも?半ば本気で自分の正気を疑う。
「そんなに、俺とのキスがショックだったのかよ」
 泡姫はがばっと身を起こした。
 その時には既におそるおそる近くまで来ていた盗が、泡姫に先んじて魔断に抱きついていた。
「おにいちゃああぁあああんんんっ!!」
「うおっ!!へへっ、あ、いや。すまん、だな。心配かけたよな」
 泡姫一人だけが気が付いていなかった。
 一人悲しみにくれる彼女だけが気付けずにいた。
 他の3人はしっかりと見ていたのだ。
 魔断の背中のバラが、一瞬にして白へ塗り替えられたその瞬間を。
「な――んで、どう……して?」
 呆然と呟く泡姫。
 自分の放った魔法の威力は、自分が一番よく知っている。
 奇跡にすがっておきながら、目の前に現れた奇跡が信じられない。
 都合のいい夢ではないのか?
「いったろ?全部受け止めるって」
 魔断はしゃあしゃあとそんなことを言う。
 それが泡姫の琴線に触れる。
「そんなっ!そんなっ簡単なものじゃ――」
「いや、まあ簡単じゃねぇけどさ……。もともと七つの大罪ったって、誰にだって起こりえることだろ?その全てを許す――だなんて、俺にもまだできなかった。けど――、抱えて歩くしかないよな、人間なんだからさ」
 魔断はニッと笑った。
「――てのは建前で」
 バツが悪そうに頭を掻いて、泡姫から視線も外して、
「お姫様の涙見せられちゃ、やるしかねぇだろ?」
 その頬は朱に染まっていた。
 そんな魔断の姿に泡姫もつられるように頬を染め「もうっ」と頬を膨らませる。
「本当に、大丈夫なのかい?」
 正は魔断に真面目な顔で問いかけた。
「本当のことをいってくれないか?」
 魔断はその視線から逃げられず、正直に本音を吐露した。
「きちぃっす」
「だよね……」
 あきれ顔になる正に、
「でも、大丈夫です。ちゃんと飼い馴らしていきますから」
 笑って泡姫の父親に応える。
「泡姫がいれば、きっと。だって、これも彼女なんですから」
「……なるほどね。うん、わかった。泡姫のことこれからよろしく頼むよ」
「はいっ!」
 魔断は力強く頷く。
「泡姫ちゃんも、それでいいのよね?」
「――はい」
 母の言葉にしとやかに頷く。
「いやぁ息子が出来て、お父さん嬉しいなぁ。な?母さん」
「そうですねぇ。どこか淋しくもありますけど」
「それをいうなよ」
 二人の会話の方向性が怪しい。
「お父さん、お母さん……。認めていただいてありがとうございます」
 三人だった。
「ちょ、っちょっと??」
「ん?これから泡姫を支えてくれるんだろう?伴侶として」
「――は?」
 「伴侶?」魔断は問い返す。
「泡姫を受け止められるのは勇者――いや、魔断くん、君しかいないっ!
 はははっ、なんだか照れるね。こういうの」
「魔断さん泡姫ちゃんをよろしくねぇ?」
「え?いやいやま――」
「魔断さん、だめ……なんですか?やっぱり受け入れてくれないんですか?」
 上目使いで涙を浮かべる泡姫を至近距離で見て、
「そんなわけないじゃないか」
 反射的に答えてしまう魔断。
 答えた後で我に返り、懊悩に頭を抱える。
「おにいちゃぁんなにやってるのさぁっ!ちょっと、ダメだよッ!ダメダメダメダメっ!アタイだってお兄ちゃんのこと――」
 僧侶家にたじたじになっている魔断に手を差し伸べたのは盗――、
「二号さんで手を打ちませんか?」
「に、二号?」
 早くも雲行きが怪しい。
「いやなにいって――」
 ちょっと?おふたりさん?魔断の声なんて二人に届かない。
「なんならMk.2とかいかがですか?」
 キリリと眉を寄せて「君しかいないっ!」とバリに肩を掴む泡姫に、
「なにそれっ!ちょーかっこいいっ!!」
 意味が分からぬまま、語感の良さに興奮する盗を見て泡姫は今度は哀愁を漂わせて、
「――譲りますよ?」
 その座を示した。
「へっ?!」
 いかにもかっこいいそれを、泡姫が譲るといった言葉が盗には信じられない。
「Mk.2の座を。それともオリジナルのほうがいいですか?」
「いやっ!アタイMk.2のがいいしっ!!」
「決まりですねっ!」
「だねっ!さすがは泡姫ちゃんだよぉ~話がわっかるぅ~」
「おそれいります」
 瞬く間に交渉は成立した。――詐欺臭いが。
「いや、騙されてるからなっ!それ絶対そういう意味じゃないからなっ!!って、だいたい俺の自由意思はどこ行ったっ?!」
 その事実を知っている、この話の当人たる魔断が反論ののろしを上げようとするも、
「――私と一緒になるの……嫌なんですか?」
「そ、そんな上目遣いで――……。
よろこんで」
逆らえない自分を呪う。
「決まりですね」
「だねっ!」
「ぐおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 三者三様の様相を呈しながらも、魔断たちは勇者家へと帰ることになった。
 たんに魔断が諦めただけという話ではあるが。
 帰る間際魔断は正の元に二人に気が付かれないように近寄ると、その耳に口を寄せ訊ねた。
「なんで、泡姫って名前にしたんですか?」
「あ、あははは。なんでかみんなそのことを尋ねるんだよねぇ」
 正は遠い目をして、魔断に命名の由来を利かせた。
「生まれた時からあの子は泡のように肌が白くて、綺麗でね?そんなお姫様を見てこれしかないかな~ってさ。まあそれだけといえばそれだけなんだけどね」
 魔断は胸の裡で思った。
 きっとこの人は本当に今まで赤信号を無視したことがないんだろうと。
「魔断さん?」「おにいちゃん、はやくぅはやくぅ~」
 泡姫と盗の声にせかされて、魔断は「それでは」と挨拶を告げると、僧侶家を後にした。
 3人で岐路に着きこれから先のことを話しながら歩けば、もう家は目の前だった。
 泡姫と盗はまるで示し合わせていたかのように玄関に駆け寄り、盗のピッキングで魔断より先に限界内に入ると鍵を閉めた。
 一瞬、弾き出された?と疑問に思う魔断だったが、すぐにその真意に気付く。
 気付いて、照れくささを覚える。
 自分の家だというのに、玄関のドアをノックする。
 開錠の音。
 開かれる扉。
 顔を見せた二人の女の子。
 彼女たちにそれでも笑顔でいう。
「ただいま――」
 泡姫と盗は小さな声で「せーの」と声を合わせて、
「おかえりなさい」
 魔断を迎え入れた。
 これから我が家となる三人の家に。


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○○で何が悪いっ! 第9話

 魔断は後を追う。
 おそらくは2階で二人は対峙したままだということは、常に二人の位置を確認していた魔断にもそれだけは分かる。――けれども、肝心のなぜ(・・)かは判らない。それでも、ざわざわと胸を不安が焦がす。この先に待ち受けている状況を思い描いて。なにより、
――おにいちゃん早く来てぇっ――
 盗が先ほどから何度か魔断に悲鳴交じりで呼びかけている。
 そして、魔断は辿り着き、同時に見た、二つの視線とぶつかりあった。
 一つは窓から身を乗り出すようにしていた盗が、魔断に気付き振り返ったもの。
 もう一つは、窓の外で屋根瓦を心もとなさげに踏みしめる、泡姫のもの。
 体当たりをするように窓から自らも乗り出すも、それを超えることができなかった。
 なぜなら――、
「来ないでくださいっ!!」
 泡姫が悲痛な声を上げたからだ。
 彼女の後ろには、なにもない。ただ、空が続いているだけだ。
 バランスを崩しただけで地面へと落下するだろうことは、想像するまでもない。
 ここが2階だから命にかかわるような大怪我を負うことはないだろうなどという楽観的な考えは魔弾の頭の中にはなかった。魔断の頭の中にあったのは、1mmだろうと泡姫が危険に近付いて欲しくないという思いだけで。
 そんな魔弾にぶつけられた思いは、彼に近付かないでほしいというものだとは皮肉なものだ。
 だからこそ互いに動けない。
 そんな膠着はしかし長くは続かなかった。
「私のしたこと――聞いちゃいましたよね」
 反論しようとした魔断だったが、
「言わないでくださいっ!聞きたくありませんっ!言葉なんて、いくらでも取り繕えるじゃないですかっ!!そうやって私の心をみんな騙すんです、騙そうとして、結局最後は利用しようとするだけなんですっ!!!もう嫌なんですっ!だから何も言わないでくださいっ!!」
「――ッ」
「あの人もそうでした。最初は優しかったんです――けど、二人きりになると男の欲望をあらわにして、私を――私を……、穢そうと」
「それ以上言わなくていいっ」
 思わず魔断は叫んでいた。
「何も言わないでっていったじゃないですかっ!!」
 魔断も泡姫も、立ち込める緊張感と、叫びあったせいで失われた酸素を補充するかのように、荒い息を整える。
「わかりますかっ?!私の――私の気持ちがっ!分からないでしょうっ?!家にある居場所は私自身にとって居心地がいいものではなく、どこにいっても欲望にさらされて、ずっと一人で、頼る人もいなくて、結局私のせいだって、私がいけないんだって、自分のことなんて顧みないくせに、全部私のせいにしてっ」
「おにいちゃんは違うよっ!!」
「――ッ――?」
「何も言わないでっていったじゃないですかっ!」
「だってアタイ言われてないもんっ!泡姫ちゃんがそういったのはおにいちゃんだけでしょっ!!」
「そんな屁理屈っ」
「屁理屈はどっちだよぉっ」
 語れない魔弾の代わりに、盗が叫ぶ。
「お兄ちゃんは――お兄ちゃんは、そんなことしなかったよっ!!」
「なにを……」
「泡姫ちゃん昨日のこと思い出してみてよっ!冷静に思い出してよっ!!」
「――き、のう?」
「昨日おにいちゃん、アタイたちになにかしたっ?!一緒にお風呂に入ったりさぁ、その、アタイが寝ぼけてた時におといれのお手伝いしてくれたりとかさぁ……、でも、おにいちゃんへんなことしなかったよっ!!」
「それはそうですけどっ」
「泡姫ちゃんが、過剰反応してただけじゃないっ!アタイはなんにもされてないもんっ!お兄ちゃんといるのへっちゃらだもんっ!ううん、そうじゃないっ!おにいちゃんと一緒にいたいもんっ!だっておにいちゃんといっしょだとぽかぽかするもんっ、胸が暖かいもんっ!!泡姫ちゃんは違うのっ?!そうじゃないのっ!!?」
 泡姫は逡巡するかのように視線を落として、元の視線の位置との間ぐらいの所から羞恥を噛み殺したように盗に「けれども」と前置きして、
「魔断さんは私の――、その、胸を噛みましたっ!!」
 顔を上げて叫んだのは、あろうことか二人が出会った時の一幕だった。
 気まずい空気が流れる。
 もちろん、魔断には魔断の理由があり、それは彼女を思ってのことであったが、行為が行為なだけに、またなにもいうなと言われている手前、言葉を発することができずに当たりを沈黙が包み込んでいたが、
「あ、うん――。それは、ちょっとアタイにもフォローできないかなっ?」
 てへぺろとばかりにおどける盗に、
――ですよねっ!!――
 魔断は胸中で叫び、
「やっぱりそうじゃないですかっ!」
 泡姫は再び怒りをぶつける。それでも盗は、
「あ、あああっ、でもでも、おにいちゃんのことだから何か考えがあったんだよっ――たぶん」
「『たぶん』ってなんですかっ、『たぶん』ってっ!じゃあ教えてくださいよっ!その『たぶん』をっ!私の大切なところに歯を立てたその理由をっ!!」
――なんでおにいちゃんそんなことしたのさっ!!――
 恨めしそうにパーティーチャットで盗が追及する。
――仕方ないだろっ!そうしないと泡姫の乳首が大衆の面前に晒されそうだったんだからっ――
「――へ?」
 虚を突かれたようなどこか間の抜けた声は泡姫から上がって――、
「へ?」
 恐る恐る魔断が視線を向けてみれば、あんぐりと口を開けた泡姫と目が合って、
――なにしてるんだよっ、おにいちゃぁ~んっ!なに言ってくれてんだよっ、そもそもなにしでかしてくれてたのかよってことだよっ――
――ぎゃあぁあぁああああやっちまったぁああああっ!!――
 盛大に頭を抱えて仰け反る魔断。
 あろうことかパーティーチャット初心者の盗に注意したことを自分でやらかしてしまうなんて、しかもこの場面でっ?!といった具合に、魔断の混乱はひとしおだった。
 普段ならほんのわずかな時間に過ぎないはずなのに、今は1秒が長く、それを感じながらも思考はまとまってくれない。何か言わなきゃ、どうにかさっきの一言をフォローしなくてはと気ばかりが急く。泡姫に何かを言われる前に自分から言わなきゃいけないのに――、
「そこまで考えが回っていませんでした……」
 泡姫が気まずそうに恥ずかしそうに俯く。
「えっ、何でそんな反応になっちゃってんのっ?!」
 目を剥いて驚きを主張するのは盗で、魔断は心中で彼女に「頼むから黙ってくれっ」と叫びたいところを、また暴発しやしないかという恐れが他の二人には知られることなくその勢いを大幅に削ぎ、呟くにとどめていた。
「盗さん少しお静かに」
「ッ!分かったっ!!」
 盗は自分の両手で自分の口を塞ぐ。
「ようするにそれは、私の――その、肌を……。他の人たちに、男の人に見せたくなかった、と。それでよろしいですか?」
 泡姫は伏し目がちに魔断に訊ねる。
「えっ、――まあ、そうなるの……かな?」
 泡姫はしばらく無言で考え込んだ後視線を上げ、
「でしたらっ」「お兄ちゃん危ないっ!!」
 泡姫の決意を秘めた言葉が発せられようとするのと、盗が魔断を押し倒すようにして床に身を伏せたのとは同時だった。
「な、なにすんだよっ!いいとこだったろっ、なんか、たぶんっ!!」
「なにいってんのさっ!あれみなよッ!」
「へ?」
 盗の指差した先へ魔断が視線を向ければ、そこにはフローリングの床に衝き立つ真っ黒な羽があった。黒光りするその羽は、羽でありながらもどこか硬質な金属を思わせる。
 もしあれを生身の部分に受けていたらただでは済まなかったであろうことは容易に理解できた。盗が押し倒してくれなかったら――、魔断はそう考えるとぞっとする。
「本当にねぇ。いいところだったのにねぇ」
 妖艶さを思わせるその声は外から――、それも足場のない空から聞こえてきたことは、床に伏せていた魔断にも理解できた。彼はすぐさま身を起こすと、窓枠から外を見、理解した。
 これぞ魔族――そう思わせる女性が自らの蝙蝠に似た羽を羽ばたかせ、細いしっぽをたなびかせて宙に浮いていた。
「お母さんっ!?」
「はぁ~い、お母さんですよぉ~?」
 魔断と彼に遅れて窓枠から外を見上げる盗は二人の関係を理解する。そして思う、
「中二病の域超えてるだろ?」
「超えてるよね――というか、え?人間なの?」
 盗が何気なく口にした一言に泡姫は表情を曇らせたが、二人とも宙に浮かぶ彼女の母親から目が離せずにいたため気付けはしなかった。
「はっはぁ~ん?中二病、ねぇ」
 視線を向けられた泡姫は、自らを抱きしめるようにする。
「まあいいわぁ。っていっけなぁ~い。ごめんねぇ?泡姫。お父さんがね、もう時間だって」
「え……」
「時間よ、時間。分かるでしょ?」
「い、いや――、いやぁ」
 泡姫は子供のように首を振ってその場にぺたんと座り込んでしまった。
「聞き分けの悪い子はお母さん嫌いよぉ~?」
 まるで幼い子供に言い聞かせるような言葉を泡姫に投げると、両手で耳を塞ぐようにして首を振っていた泡姫を片手で抱きかかえ、再び宙へ身を躍らせる。
「二人ともぉ~?」
 抱きかかえられることで宙に舞っている泡姫は、それ以上暴れるようなことはせずおとなしくしてなる。彼女だって分かっているのだろう。ここで無理矢理抵抗したとして、自分が地面に落下するだけだろうということが。だから彼女の母は二人にゆっくりと告げた。
「あなたたちぃ?この娘と遊んでくれてありがとうねぇ?一緒のパーティーなんでしょ?――だ・か・ら、泡姫ぇ~?そのパーティー解体したらだめだからね?」
 泡姫は蒼白といった表情を母親に向ける。
 理解したのだ。母親がこれから何を二人に告げるのかを。
「あなたたち、泡姫の痕跡を追って家に着なさいな?」
 笑みを浮かべて言う。――不吉を詰め込んだ邪悪そのものの笑みで。
「たぁ~っぷり、私がおもてなしして、あ・げ・るっ!」
 その言葉は異性には背徳感を思わせる快楽を、同性には嫌悪感をたっぷりと植えつけるだけの妖艶さが込められていた。二人がその言葉に込められた魔力に抗っているうちに、
「じゃあ、急いできてねぇ?――泡姫……護りたいのよねぇ?」
 言葉を置き去りに、瞬く間に魔断と盗の目の前から姿を消してしまった。
「泡姫……」
「おにいちゃん……」
 呟く魔断を見上げる盗。盗が目にした魔断はそれでもいつもの魔断で、彼女が慕う魔断で、
「行こう」
「うんっ!」
 二人は頷き合い階下へと降りる。
 すでに剣戟の音は止んでおり、また誰も階上へ上がってこなかったことから予想していた通り、そこには間蔵爺さんだけが残っていた。
 二人が降りてくるのを見るなり、
「あ、泡姫はどうじゃっ?!」
 孫の安否を確認するも、昏い表情をする二人を見て、
「そうか……」
 それだけを呟いた。
「泡姫はいったい、どういった――その、生い立ちで育ったんですか?」
「なにがあったんじゃ?泡姫に何かあったんかっ?!」
「彼女の母親を名乗る魔族――に、連れていかれました」
 あれがコスプレか何かの類であるとは到底思えないが、それでも母親が魔族ということをうまく飲み込めない魔断に、
「それは間違いなくあの子の母親じゃな」
 間蔵爺さんは渋面を造って頷いた。
「どういうことなのさっ」
「――そうさの。ありていに言えば、ハーフというやつじゃよ。人間と魔族との――な」
「人間と魔族の?」
「驚くのも無理はないが――本当のことじゃ」
 間蔵爺さんは疲れたように大きくため息をつく。
「でも、泡姫は中二病を拗らせた人たちといった感じで両親のことを話して聞かせてくれたんですけれど」
「のう、勇者殿や」
 間蔵爺さんは視線だけを上げて魔断に、
「お主、『私は人間の父と魔族の母の間に生まれた娘です』とあの子が言ったとして、それを受け入れられたかの?」
「?!」
「ようするに、そういうことじゃ。
 それよりも『中二病を拗らせた残念な両親』のほうが信憑性もあろう?多少変わった姿をしとっても、中二病の一言でやり過ごせる――それはお主にも心当たりがあるんじゃないかの?」
 魔断は頷く。まだギリギリ魔断にも家に招くことのできる友達がいたころ、同じように両親のことをその友人たちに説明していたのだから。――それよりも、今更だが普通に「中二病」を使う間蔵氏にはさすがというべきか。
「じゃ、じゃあ――その、ネグレクトまがいの教育方法とかは?その、男を誑しこむだとか」
「あ、それはマジじゃの。マジじゃマジ」
「一番嘘であってほしかったのにっ!!」
 頭を抱えて絶叫せざる負えない魔断。
「そうはいうても、うちの孫は処女じゃからの?」
「ブーーッ!なっ、間蔵さんいきなりなんつぅことを――って、えっ?!なんで知ってんのっ」
 魔断はその理由を考えるだけで怖気を覚えた。たとえば実は常日頃監視しているだとかそういうストーカー的な活動だとか、寝ている間に確認しているとか――、
「お主。いますっごく失礼なこと考えとるじゃろっ!!」
「――ッ!じゃあ、なんでいいきれるんだよっ!!」
「失礼なこと考えてたことは否定せんのかいっ!!!だいたい考えてもみよ?」
 魔断は考えてみた――が、それ以外の回答は想像もできなかった。そんな魔弾を一瞥し、間蔵爺さんは誇らしげに己を両手の親指で指して、
「儂の孫じゃぞっ!儂の孫が非処女なわけあるかいっ!!儂の孫はなぁっ、永遠の処女なんじゃっ!!」
「なんだその誤った孫の価値観っ?!大体ひ孫とか見たくないのっ!!」
「ひ――孫?」
 間蔵爺さんの時間が止まった。
「ヒ、ひ孫じゃと?」
「――だよ。だいたいそうならないと僧侶家大丈夫なの?」
「大丈夫――くない」
「ですよね」
 勇者家もいつ滅びてもおかしくないぐらいの状況なので、僧侶家もそうだろうと魔断には察しがついていた。だいたい、勇者家だとか僧侶家だとか――痛いし。
「――ハッ!儂ゃ神かっ?!」
「脈絡なさすぎるよ?おじいちゃん」
「ん、んむ。じゃ、じゃがなっ!お、おおう。儂ゃ自分の頭の良さに、見よっ!震えが止まらんぞいっ!!!」
「それあれじゃ、年寄的なあれじゃっ!」
「さっきから失礼じゃなっ!儂ゃあれじゃぞっ!孫の部屋にウェブカメラ詩コンドルぐらいしかやっとらんぞいっ!!!」
「何さらっとカミングアウトしてやがるこの変態爺っ!!!」
「儂ゃ神じゃから何をやっても許されるっ!!」
「ついに断定しやがったっ!!?」
「もういいよぉ~それでなんなの?なに思いついたのさぁ~」
 まさか、盗の一言で話が本筋に戻るとは。魔断と間蔵はその事実に、
「ううっ、儂も歳なんじゃのぅ」
「爺さん、それいうなよ」
「そろそろアタイも怒っていいよね?いいよねっ?!」
「まあ、あれじゃて」
 間蔵爺さんはコホンと咳払いを一つして、
「カァ――っ!んがっ!ん、ぐわぁっ!カァ――ん、んんっ!んんんっ!!」
「どんだけタンつまってんだよっ!!」
「もうなんかいいよぉ、おにいちゃん時間もったいないよぉ」
 盗が魔弾のシャツを引っ張って呼ぶ。
「んんっ、すまんすまん。で、あれじゃ。――なんじゃっけ」
「うん、行こう」
「だねっ、行こうっ!泡姫ちゃんを助けにっ!!」
「ま、まてぃっ!あれじゃぞっ、儂の閃きを聞いてくれいっ!なあっ、頼むっ!ああっ無視せんどくれいっ!!いいかっ!いうぞっ!いうからなっ!!夫婦別姓ですべてまるく――」
 魔断と盗は泡姫を助けるため、間蔵爺さんの声を背中で感じながら、パーティー機能を活用して後を追った――が、
「ふぅ。待てというじゃろがっ!」
「うおっ!!」
「危なっ!!」
 二人の目の前に急に爺さんが現れた。
「そう慌てなさんな。儂にゃ泡姫が連れて行かれた場所の検討ぐらいついとるわい――北西のほうじゃろ?」
 魔断と盗は顔を見合わせ、魔断はしっかりと頷いた。そう、魔断は。
「ほ――く……せい?臭いの?」
「今のどうやったんだ?」
「なぁに。儂ゃ僧侶じゃからの。記録しているところなら空間を『跳べ』るんじゃよ」
「あ、ああ~。ディメイションブロウか」
「横文字で言うな横文字でぇ」
「あ、もしかして――」
「ん?どうした?」
「さっきのおっさんも――」
「お?おおっ!察しがいいのぅ、その通りじゃ。狙い定めたところにおびき寄せて、ぽいっと落としてやったぞいっ!北極にっ!!」
「なんでそんなところのブロウ持ってんだよッ!!」
「何かと、何かと便利なんじゃよっ!相手を反省させるときとかのっ!!」
「あんたまさか自分の息子にもそんなことしてないよなっ!」
「ぎくぅっ!!」
「そりゃグレるに決まってんだろぉっ!!」
「ん、んなわけあるかいっ!あやつはなぁ、そりゃあ真面目でいいこだったんじゃぞっ!!」
「いつまでだよっ!!」
「――南極に飛ばすまで……かの?」
「ダメダメじゃねぇかあああああっ!!!」
「う、ううっ。そう、そうじゃな。やっぱりそうじゃよな」
「うわっ、何気に自覚してるっ?!というか、アタイのこと無視しないでぇっ!ほくせいって、くせぇのっ?!どうなのよさっ!!」
「まだそこかよっ!!」
「北と西の間のことじゃよ……して、お主たちそろそろよいかの?」
「誰のせいでこんな不毛な会話していたと思ってんだよっ!!」
 目くじらを立ててガッデームとばりに叫ぶ魔断に対して、
「お主じゃろ?」
 さらりと言ってのける。
「――殴っていい?」
「いいと思う」
「ま、まてぃっ!年寄は大事に――」
「早くブロウだせよっ!!」
「そうだよどれだけ尺使ってんのさっ!!」
「むごい――むごすぎじゃてぇ」
 間蔵爺さんは涙を流しながらブロウを開き、3人はそこへと飛び込んだ。



○○で何が悪いっ! 第8話

「もしかしてここって――泡姫の家か?」
「たぶんそうじゃないかなぁ。『僧侶』さんなんてそういるわけないし」
 魔断と盗は簡単に現状を確認し合い、お互いの意見が一致したことで頷き合い、魔断は表札の下に設けられているチャイムのボタンへと指を伸ばした。
 変哲もないどこかのコンビニで訊くものと全く同じ音が家の中に鳴り響く。
「お、おい?」
「う、うん?」
 魔断はどこか驚いた表情で、盗はそれに応じるように緊張した顔で、
「なんていうか、平和そうだぞ?」
「だよねっ?だよねっ?アタイもそう思ったんだけど……」
 自らを魔王と名乗り、娘を魔王の娘として育てている親がいる家という前情報で、どこかおどろおどろしいものを想像していた二人だったが、家の佇まいも合わせて、若干くたびれたような気配さえ感じられる。
「あれ?あれじゃね?カモフラージュじゃね?」
「かもふら?」
「そうだよ、きっとそうなんだよ。外見的には平凡的か――それ以下の家を装っておいて、近くの人たちを騙してるんだと思ったんだけど、どうよ?」
「お、ぉぉおおぉ~。おにいちゃん頭いー」
「だろ?そう思うだろ?」
「うんうん。アタイ惚れ直しちゃった」
「――ふぇ?」
「あ。――……惚れてなんてないんだからねっ!」
「貴様ら何をやっとるかぁ~っ!呼び鈴ならしていちゃつくところを見せつけるとは、なんじゃそりゃあ新手の詐欺かっ?!」
 びくりと魔断と盗が肩を震わせ、おそるおそる声の主を見て――二人は絶句した。
 まずは相手のしゃべりかたや声から察した通り、その声の主が老人であること。それを見て、「もしかしたら2世帯住宅なのか?」という疑念がわく前に、彼らは絶句してしまっていた。むしろさせられてしまった。なにしろ、老人の左頬には紅葉のような真新しくも痛々しいあざが張り付いていたからだ。早い話がビンタされたのだということは明白である。
 そんな老人が目の前に現れた事実にこそ二人は絶句していた。
――いったい何者なんだ、このじーさん……――
――だよね?なんでいい年こいてこんな顔になってんのさ――
 パーティーチャットを駆使して意見を交換し、その背景を思い浮かべてみようとするも、もっともらしい答えなど出てこない。
「ん?な、なんじゃ?儂の顔をじぃ~ッとみて――じじぃだから、じぃ~ッとみてるとか?なんちゃって」
 雷親爺かと思っていたら、急にそんなお茶目っぽいことをいってくる。そしてまるでお猿さんのまねでもするように、震える膝で円をかたどり、頭のてっぺんに開いて伸ばした両掌の指先を当てておどけてくれる――が、当然、だだすべりもいいところで、
――お、おい……どうすりゃいいんだ、どうすりゃいいんだよっ!――
――てっ、手ごわすぎるよぉっ、おにいちゃんっ!!――
 若い二人の手におえるわけもなく、おどおどと佇むことしかできなかった二人に、
「おかしいじゃろっ!おもしろいじゃろっ!なんで笑わんのじゃあ、笑ってくれんのじゃあぁぁあぁぁぁぁぁ~~~~~」
 両手を地面について派手に泣き崩れる。
――いや、これまじでどうしたらいいんだよっ!こんな情緒不安定な人初めて見たぞっ――
――逃げようよっ!逃げようよおにいちゃ~んっ!――
 見れば盗は困惑しきっているのか、その目は涙目である。
 けれども、泡姫の反応は依然この家の中にあるためそうはいかない。
 引き下がらない――その決断をした魔断は老人に対して懸命に笑顔を作り、
「芸達者ですね」
 精一杯のお世辞を言って見せた。
 すると老人はくわっ!と顔を上げて、
「儂はゲイじゃないわぁっ!!ノンケじゃっ、ノンケっ!!!」
「の、のんけ……ま、またよく御存じで」
「そうじゃろそうじゃろ?儂ゃあこれでも流行に敏感での?ナウなヤングに負けんのじゃなうっ!!」
 ドヤ顔を自らの親指を突き付けながら、その上涙を弾き飛ばしながらウインクまでしてくるこの爺さんに、いよいよもって魔断もどう対応すればいいのかを諦め、不法侵入などの手段を模索し始めたころ、
「よしっ、儂ゃあお前さんのことを気に入った。よしよし、立ち話もなんじゃし上がって行きなされ」
 などという謎の展開を見せ、謎の断り辛さにさらされ、魔断と盗は僧侶家の敷居を跨ぐことになった。
「お、お伺いしてもいいものやら……」
「ん?なんじゃ?遠慮せずにゆうてええぞい?」
「いや、その――ほっぺだどうされたんですか?」
「孫にやられた――孫に……孫っ、うっ、ううぅぅぅぅ」
 その時のことを思い出したのか、廊下にがっくりと膝立ちになり泣き声を上げる僧侶老人。
「わしゃあ、わしゃあ――、孫が儂のこと叩いてくれたことが嬉しくて――嬉しくてのぉ~」
 綺麗に掃除がなされているせいか、魔断と盗はその場で足を滑らせ、危うく後頭部を床に打ち付けそうになる。
「――え?ショックなんじゃ……?」
 思わず素でツッコんでしまった魔断に、がばあっと身を起こした爺様は、
「何を言うんじゃ少年っ!考えてもみてみぃっ!もう年頃だからか儂のことを避けるようになってしまった孫娘が、ゴミのように儂を見ることもしばしばある孫娘がっ、儂のことをぶっ叩いてくれたんじゃぞっ!言い換えれば、それこそ熱を帯びるほどに強烈に触れてくれたんじゃぞっ!!この痛みっ!この熱こそが込められた愛しい孫が儂にくれた愛なんじゃっ!!!
 ショックなわけあるかいっ!!!」
 このような倫理観に至ってしまった老人の人生を思うと、魔断は涙腺が緩みそうになってくる。
「その、お孫さんって……泡姫さんですよね?」
 そう尋ねた途端、お爺さんの眼がくわっと見開かれ、ぎらりと光るのを魔断は目にし思わず後ずさりしそうになるも、それはできなかった。
 その理由は二つ。
 肉食獣の如き動きで爺様が魔弾の両肩を掴んできたということが一つ。もう一つは、そんな爺様の発した気配を敏感に察知した盗が彼の背後に隠れ、ズボンに通したベルトを掴んで彼自身を盾としていたからだ。
――おにいちゃんのこと、アタイ絶対に忘れないからっ!!――
 パーティーチャットで聞こえる盗の叫びに魔断がツッコもうとするも、
「なんじゃ貴様ぁっ!!あんたっ!あんたねぇっ!あんたっ、泡姫のなんなのさぁ~っ!!」
 口角から泡を飛ばしながら魔断に爺様が詰め寄ってきたためそれもできず、魔断はみごと盗の為に盾の役目を果たした。彼は犠牲になったのだ。盗を凶弾という名の咥内臭が濃縮された唾から護るために……。
 やり場のない怒りに頬を片方ひくつかせながら魔断はそれでもかろうじて笑顔を保ちつつ答える。
「友達です」
「なんじゃ、友達か――」
 魔断の笑顔に答えるように老人がその顔に笑顔を取り戻そうとして、
「友達――フレンドじゃな。フレンド?フレ――せふれ?セフレじゃとぉっ!セックスフレンドじゃとぉおおおぉぉぉおおおっ!!!」
 魔断の顔に糸を引いて落ちるほどの凶弾が降りかかる。――彼は犠牲になったのだ以下略。
――うわっ、お兄ちゃんの精神ポイントがぐんぐんさがってくっ。代わりにSTRがガンガンあがってるけどぉ――
――うん、判っているなら何も言わないでくれないか?――
 仄暗い笑顔を胸に秘めて魔断は盗に返すと、彼女が捕まっている魔断にも伝わるほど、小刻みにカタカタと震えだす。まるでが最後の命綱だとばかりに、その両手だけはしっかりと手にするそのベルトを握り絞めて。
「ただの友達です」
 にっこり笑いながら言う魔断だったが、その手はご老体の襟首をむんずと掴み、のしかかるようにしての物言いで、前髪が作る薄い庇がその表情の凹凸をより深く見せているその様に、
「う、うむ。うむうううむ。わ、わかっ、わかった。うんそうじゃな、やっぱりじゃな。さすがは儂が見込んだ男じゃっ」
 恐怖で我に返り、顔を蒼褪めさせながら、理解を得ることにいたった。歳相応の血管たちには非常に苦労を強いてしまったが。
 それでも説得(・・)が成功したと胸を撫で下ろし、その襟から手を離す魔断に、
「ふぃ~。まったく寿命が縮まった――う゛っ」
 語りかけるその途中で、急に顔をしかめたかと思うと服の心臓部分を鷲掴みにして、その場に老人が頽れた。
「ちょっ、お爺さんっ!」
「おじいちゃん?!」
 慌てて魔断と盗が駆け寄るなり、
「うっそだよぉ~ん」
 急にその場に立ち上がり、腰に両手をあて、腰を逸らしながら満足そうに哄笑を上げる。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっ、老人に酷い扱いをするとどうなるか分かったじゃろ?おそろしかったじゃろぼりゅっ」
 魔断は爺様の顎に肘を、盗は爺様のつま先に自分のかかとを、それぞれが全く同じタイミングで打ち付けていた。
「あ、あにするんじゃっ!!普通の爺様なら死んどるぞいっ!!」
 しかしそれに対して若人二人はいけしゃあしゃあと、
「ですね。普通のおじい様だったらそうですね」
「そうだよそうだよっ!これはあれだよっ!アタイたちのおじいちゃんに対するあつぅ~い、スキンシップってヤツだよぉっ」
 笑顔で頬と足をそれぞれ手で押さえながら抗議の声を上げたお爺さんを覗き込むようにいう。
「むっ、むむむっ、それ、それなら、それならしかたないのぅっ!」
 爺様はまた豪快に笑った。やけくそ気味に。その目からは涙を流して。
「それで申し訳ないんですけど、話を戻して――泡姫さんはどこですか?」
 どうにか必要なことを聞き出そうと、魔断は改めて真面目な顔をして尋ねると、
「その前に聞いていいかの?」
 爺さんも真面目な顔をして、魔断に問い返してきた。魔断は無言で一つ頷くと、
「お前さんがた……、泡姫にあってどうするつもりじゃ?」
「「助けたいです」」
 魔断と盗は声を合わせて即答した。
「助ける――のぅ……。ふむ……」
 顎に手を当て思案するように天井へと視線をひとしきり巡らせ、再び二人の眼を確認すると、
「お前さんがた、名前は?――っと、年上が不敬を見せては若者の手本とならんのぅ。
 儂は、僧侶 間蔵(そうりょ まぞう)というんじゃが――」
――マゾだ……――
――やっぱりだねっ!――
「まて、お前さんがた何やら失礼なことを確認し合っておらんか?言っとくが儂ぁマゾなんかじゃないぞいっ?!」
「そんなこと思ってないっスよ?」
「スよっ!!」
 作り笑顔を浮かべながら応じる二人に、「そ、そうか」と頬を引くつかせながら頷く間蔵爺さんに、
「俺は勇者 魔断です」
「アタイは弑賦乃 盗っ!」
 二人が名乗り返すと、爺さんは驚いたように目を見開いて、
「な、んじゃ――と?勇者じゃと?勇者家の少年じゃとっ!」
「ご存じなんですか?」
「存じるも存じぬも――ふむ、それに弑賦乃ときたか」
「えっ!アタイの家のことも何か知ってるのっ?!」
「うむ」
 間蔵爺さんは盗の瞳を見つめて言う。
「しらんうべゅ」
 盗の返事はその細い膝を魔断爺さんの顎にいれることだった。
「熱いスキンシップだよ?」
 間蔵爺さんに何かを言われる前に、盗はにっこり微笑んで先回りしてそれだけを告げた。
「う、うむ。わ、儂ぁ嬉しいぞい――くっ、うっ、うっ、ううっ」
「それで、泡姫さんはどこですか?」
「うっ、ううっ、鬼か。お前さん」
「いえいえまさか、まっさかぁ」
 にっこりと魔断が微笑みながらいうと、それだけで間蔵爺さんは肩を大きく震わせた。
「ま、まあ、そう慌っ、慌てなさんなっ!ったく、なんじゃ、最近の勇者家は。ほとんどやく――わかったわかった、話す話すっ!話すからそう睨まんでくれいっ!泡姫を助けるというたが、お前さんがたっ。泡姫の抱え取る問題はしっとるのか?」
「――簡単になら……。ご両親に――あ、と……」
 泡姫の両親ということは、その片方は間蔵爺さんの子供に違いなく、魔断が言い澱むと、
「かまわんよ」
 爺さんは淋しげな表情を浮かべて、魔断に先を促した。
「――虐待を受けて育ったと聞いています。名前や、育て方など、その。魔王にふさわしい娘になるように教育を受けてきた――と」
「ふむ……ぬ?」
 魔断と間蔵爺さんの眼に鋭さが宿る。
 聞こえてきたのは階段から降りてくる足音。
 おそらくは泡姫だろう。
 ――が、二人が警戒感を高めたのはそれが理由ではない。
 この家に向けられた敵意――憎悪を敏感に感じ取ったからだ。
 探知に関しては当然、感度の高い盗もそのことには気が付いてはいたが、場数を踏んでいない彼女はオロオロとすることしかできない。
「――勇者さん……」
 泡姫が階上から手すり越しに廊下を覗き込むようにしてそう呟いたまさにその時、――気配が弾け襲い掛かってきた。
「ライトフュギアっ!!」
 魔断は即座に装備をその身に纏うと、盾を前にし、玄関の扉を切り裂き飛来した「斬撃」を、その盾で受け止めた。
 眉を顰めながら魔断は問う。
「誰だっ!!」
 魔断は確信していた。相手が人であることを。だからこそ眉をひそめていた。
 斬撃を飛ばすことのできるほどの使い手が、どうしてこの家を襲うのかを疑問に思ったからだ。
 がしゃり。
 斬撃が巻き上げた粉塵の向こうから、自ら切り裂いた玄関のカラス戸を甲冑を纏った足で踏み砕きながら中に入ってきた人物――それは、下顎部分を覆う金属製のマスクをした、30過ぎの筋肉隆々で大柄な肉体をもつ男戦士だった。
「――んだよ、もう男連れ込んでんのか?」
 その言葉には悪意と侮蔑がたっぷりと籠められていた。
 魔断は己の推測が正しかったことに歯噛みする。どうして弱気人を助ける存在であるはずの彼が、この家に問答無用の一撃を放ってきたのかと。
 そしてその答えを求めるように、男の視線を負うと、そこには嫌な予感通りに泡姫の姿があった。
「おい、あんちゃん?」
 男戦士は魔断に視線を移していう。
「あんたのためにいってやる。そこをどけ」
「断るっ!!」
「いいからどけってっ!」
「どくわけねぇだろっ!!」
 男は舌打ちを一つ打つと、金属のマスクに指を掛け、3段の折り畳み式になっているそれをすべて引き下げた。
「――ッ」
「ひっ――」
 魔断は息を呑み、盗は悲鳴を上げた。
 なかったのだ。
 本来あるべきの、上唇も、下唇も。
 顔というマスクの鼻から下を食い千切られたように、そこには剥き出しの歯と、ただれ歪に固まったような皮膚が張り付いているだけで。
「こうはなりたくねぇだろ?まだ若いんだしよぉ」
 男はマスクを引き上げながら言う。
「――どういうことだ?」
 魔断が問いかけたその時、泡姫が動いた。
 逃げるように階上へと。
「「行かせっかよっ!!」」
 まるでそれがスタートの合図で会ったかのように、魔断と男は二人が共に床を蹴り、前へと飛び出し――、互いの刃をぶつけ合った。
「盗行けっ!!」
「お、おにいちゃんっ??!」
「早くっ!」
「う、うんっ!」
 答えるなり盗はその身軽さを生かして、壁を蹴り、手すりを片手で掴むと、その身をくるりと回転させて、泡姫の後を追った。
「馬鹿がっ!!」
 苛立たしげに男が叫ぶ。
「あの娘がどうなってもしらねぇぞっ!!」
「なんだよっ!あんたさっきからなにいってんだよっ!何があんたの身におきたってんだよっ!!」
「さっきのでわかんねぇのかよっ!!」
「わかるわけないだろっ!!」
 戦士の放つ剣圧がふっと緩み、すると魔断もそれに引き込まれないようにと、剣圧を収めた。しかし、男戦士はそれ以上剣を振るおうとはせず、魔断も彼の様子をうかがっていたが、
「――あの女は、売女だ」
「なっ――」
 その一言に一気に頭に血が上る魔断だったが、
「だから落ち着けって。俺はあんちゃんとことを構える気はねぇんだよ」
「―――――――――」
 魔断が怒るのを見透かしていたかのように続けた男の言葉に、魔断は無言を返すことしかできなかった。
「俺は、あの女と一緒にパーティーを組んだことがある――状況から察するにお前もそうじゃないのか?」
 男の問いかけに、魔断は頷くことも首を振ることもせず、視線で先を促した。
「まあ、いいや。――で、な。まあ、きっかけは大したことじゃなかったんだ。
 あの女が困っていたから助けた。それだけだ」
「ッ――?!」
 魔断が僅かに動揺を見せる。――が、男戦士は気にせずに先を続ける。まるで、魔断がそういう反応を示すだろうと、判り切っていたかのように。
「それであいつは俺の家に転がり込んできた。『両親に酷いことをされているから匿ってほしい』ってな内容でな。しゃあねぇってな。あまりにも必死だったんで、家に上げてやったよ。それであいつがソファの俺の隣に座ってきたときに、潤んだ目で俺を見つめるもんでよ、『いいか?』って尋ねたら頷いたんだよな、あいつ。それどころか自ら目を瞑って口を寄せてきたからよぉ、俺も目を瞑ったんだが――」
 魔断の中を激しい感情が渦巻いていた。泡姫への猜疑心――、怒り、嫉妬。哀しみ、憐れみ、失望といった負の感情が。
「その時だよ、激痛に気が付いて彼女を突き飛ばそうとしたときには、彼女は俺から離れて、床に汚物のように俺の唇を吐き捨てていいやがった。『あなたじゃないんです』だってよ。人の顔食い千切っといてよっ!!それからは地獄だよっ!!痛ぇし、皮膚が張っても口を開くたびにまた破れるし、当然痛ぇし、その度に疼くたびにあいつを恨む日々だよ俺はっ!!!」
 魔断はすっかり戦意を失ってしまっていた。――何が正しいのかが分からなくなったのだ。
 目の前に立つ男の状況が、自分の状況に似ていて――。
「だからあんちゃん、どいとくれよ、な?」
 そういうと、男は手を伸ばして魔弾の肩を掴んだ。
「わかっただろ?ろくな女じゃねぇ。俺もようやくここを掴んだんだ――逃がすわけにはいかねぇ。あいつがこれ以上の悲劇を生む前によぉっ!」
 男も魔断も動けずにいた。
「おい?あんちゃん?」
 なぜなら、魔断は戦意を失った筈なのに、その場から一歩も譲ろうとしなかったからだ。
「何考えてんだ?聞いてたんだろっ!俺の話っ!あんたもそうなんだろっ!!」
 男が苛立たしげに声を上げ、腕に尚力を込めるも、魔断は僅かにも道を譲らず、
「なんでだろな」
 そう呟いた。
「勇者殿よ、行きなされ」
 そんな魔弾の背中を、間蔵爺さんが押す。
「子供の過ちは親が償うものじゃ。儂はとあやつは親と子の関係ではない――が、爺と孫の関係じゃ。償いは儂がすべきじゃろう」
「――そんな、でもっ」
「装衣装身(そういそうしん)」
 呟くと老人の衣装が変わった。紺の僧衣へと。
「まったく、近頃の若い連中ときたら、どいつもこいつも横文字に走りおって」
「間蔵爺さん……」
 魔断のつぶやきにウインクで返し、間蔵爺さんは男戦士へと厳しい顔を向けて告げる。
「孫の不敬はこの爺が謝罪しよう――が、孫を売女呼ばわりしたのは儂には我慢できん」
「んだと?」
 怒気を込めた声で男戦士は問う、
「言葉通りだろうがっ!」
「そうかの?」
 間蔵爺さんは冷えた視線を向けると、男はぎくりと小さく身を震わせた。
「お主のようないかにも力のありそうな男に、間近で迫られて、断ったらどのような目にあわされるかと怯える少女の気持ちなんぞ、お前さんは考えたことがあるのかのぅ」
 魔断はハッとなる。
「のう?ないじゃろ?お前さん独身じゃろ?そうじゃろ??」
「――だったらなんだってんだっ」
 吐き捨てるように男が言うと、
「だからわからんのじゃよ。子供の気持ち――というのがの……。じゃが、孫が代わりに暴力を働いた――、己が助かるためとはいえ、の。それについては謝罪しようと儂はゆうとるんじゃ――すまんかったの、お若いの」
 間蔵爺さんはその場で深々と頭を下げる。
「んなもん、関係ぇねぇんだよぉっ!!」
 しかし、男戦士にしてみれば、それは挑発以外の何物にも感じられず、
「あんたの孫だか何だかしらねぇがなっ!それでもなっ、俺ももう止まれねぇんだよっ!!このままおめおめと引き下がって、また別の男が俺と同じ目にあわされるのを指咥えてみていたら、俺は何のためにこんな姿になったんだよって話だろうがっ!!」
 間蔵爺さんは顔だけをゆっくりと上げる。目に更なる怒りを宿して。
「お主――その言葉で自分を正当化したいだけじゃろ?」
「ぐっ、じっ、じじぃ、てめぇっっ!!!」
「だいたい、その役目はお前さんじゃないのぅ。のう?勇者殿?」
 間蔵爺さんは優しげな笑みで、信頼の色を込めて、魔断に言う。
「お主が――、お主が泡姫を闇から救い出してくれる――いや、混沌から掬ってくれる。そうじゃろ?」
「あ――」
「どけぇっ、小僧っ!」
 裂帛と共に魔断を押しのけると、男は間蔵爺さんへと斬りかかり――、
「じいさ――」
 魔断が声を発しきる前に、
「やれやれ、血の気の多い男じゃわい。そんなんじゃから、おなごにゃもてんちゅうのに」
 間蔵爺さんはあっさりと、男の剣を腕が振り切られる前に、腕自身を掬い上げるように支えることで防いでいた。
「勇者殿を小僧のぅ。そして儂は爺。なら、あんたは儂からしたら赤子じゃな」
「って、てんめぇ」
「口先だけ、力だけはいっちょまえじゃが……心が足らん。心の鍛え方がのぅ。そんなんじゃ、儂に刃は届かぬよ」
 震える男戦士の背中から、彼が全力を振り絞っているのが魔断からは見て取れる。
「さてさて、勇者殿よ。わかったじゃろ?ここは大丈夫じゃ、儂に任せなされい。
 代わりにあの子を、儂の孫をよろしく頼む。――儂にはできんかったことじゃ」
「あ、――わかりましたっ」
 魔断は感じ取っていた。
 自分自身と間蔵爺さんの間にある、本来の実力差を。
 それを感じて、互いに分かり合ったうえでなお、間蔵爺さんは魔断に孫を託すと言ってくれた意味を。自分にはできなかったという、その重みを。
 魔断はそれ以上間蔵爺さんに声をかけることなく、泡姫と盗の後を追った。
「さて、と」
 間蔵爺さんは、顔を真っ赤にし額にびっしりと汗を浮かべる男戦士を見据えて名乗りを上げた。
「僧侶やって早70年、僧侶 間蔵じゃっ!!元祖体力型の僧侶の神髄、お主に受け止めきれるかのぅ??」



○○で何が悪いっ! 第7話

「なんでこうなった……」
 己の現状を魔断は嘆く。
 魔断は今個室にいる。
 そう個室だ。文字通りの個室。
 手を伸ばせれば容易に壁に手が届くぐらいの個室。
 そう、手が伸ばせれば。――しかし、それはかなわない。
 魔断は今、後ろ手でトイレのタンクに鎖で縛りつけられているからだ。
 そう。
 ここは、おそらく一軒家なら必ず一つはあるだろう個室――トイレだった。
 ちなみに魔断の家にはそんなトイレが2か所ある。2階建てなので、各階に一つずつあるのだ。ここはそのうち2階のトイレ。
「――あぁ……腹減ったぁ~」
 朝食の前にここに監禁されてしまったこともあって、当然朝までの断食状態は破られていない。おそらくは今頃盗と泡姫の二人だけの朝食が終わるころだろう。
「なにより――暇なんだよなぁ」
 まだ30分もたっていないというのに、退屈でどうにかなりそうだった。目に見えるのは変化のまるでないトイレの壁紙とドアだけだし、聴こえてくるのは換気扇の立てる音ぐらいだ。
 その気になれば鎖を斬ることぐらいはこの状態でもできる魔断であるが、それをしてしまうと自分の家のトイレを破壊してしまうことにも繋がるため、今はただじっと耐えるばかりだ。
 ようやくそんな状況に変化が訪れたのはさらに20分ほど時間が経ってのことだった。当然魔断には正確な時間まで理解できていないが。
 中に人が入っていることを確認するノック。
 それはここがトイレである以上不自然なところは全くないのだが、この家に住まう住人は3人だけ。そしてその3人全員が今のこの状況を理解している以上、ノックの主も中に人がいることを確認したり、退出を促すためにしたノックではないだろうことは明白である。
 だから魔断は答えた。
「どうぞ――」
 何も間違ってはいない。
 この状況を終わらせてくれるかもしれない相手がやってきたこともあり、魔断は孤独に震えていた子犬が優しく手を広げてくれた人の温もりに期待するような心境でドアが開くのを待つと――、そこから泡姫が顔を出した。
 心の中の魔断は少なからずほっとした。
 警戒するような気持ちはなく、ようやくこの状況が終わってくれるのかもしれないという期待しかなかった。
「――『おにちく』」
 ドアの隙間から魔断の姿をしばらく見つめて泡姫はそれだけを言うと、再びドアを閉め――、
「待って待って、なんで?俺今何もしてないよっ!お願いだからっ、お願いですからっ!ほどいてくださいっ!解放してくださいっ!!」
 他人の優しさに甘えようとした矢先に、突き飛ばされたような拒絶感を味合わされた魔断は、恥も外聞もなく懇願した。
「もう嫌なんですっ!なにもできずに一人でいるのはつらいんですっ!だから待って、待っててばっ!」
 女々しいと笑われても構わなかった。それぐらいこの状況は魔断の心に相当の負荷をかけていたのだから。
 しかし泡姫がドアを開く気配がなく、それどころか立ち去ろうとする足音が――、
「お願いですっ!マジでなんでも言うこと聞くからっ!だからお願いしますっ、泡姫様っ!俺をここから解放してくださいっ!!」
 泡姫の表情は影になっていてよく見えない。
 しかし、そこにニヤリと蠱惑的に吊り上る口の端を想像してしまうのはなぜだろう。
 しばらく立ち止まり、その間も魔断が哀願する声を聴いていた泡姫だが、振り向くことなく階下へと降りて行った。
「そんな――なんでだよ……。くそっ」
 魔断の心には落胆が広がり、それを覆い隠すように続けて怒りが湧いてきた。
 そうして自分の家だというのに、こんな目に合わなければならないのか。どうして泡姫は自分のことを信じてくれないのか。
 出会いが悪かったのか。それともこの家での出来事が悪かったのか。
 けれども、それらすべてが魔断の責任だとは本人では思えない。――他人からしてもそうだろうとも思う。
 泡姫のやりすぎともいえる仕打ちに本格的に怒りが込み上げてくるも、自身では何もできないのが今の現状である。何もできない魔断にはただただ考えることしかできなかった。
 そして考えるうち方向性が変化していく。
 始めは泡姫に対する不満、怒り。そういったものだったが、次第にどうしたらこの状況から抜け出せるのかを考え始めた。その中には泡姫に対する「お仕置き」も含まれており、その黒い感情と妄想に少し怒りも和らいでいく。すると、代わりにやってきたのは疑心暗鬼と自己嫌悪であり、「本当に泡姫だけが悪いのか?」という疑念だった。初めは否定していた魔断だが、次第にその波が大きくなるのを感じる。そして自分を振り返る。本当に俺は悪くないのか?悪いことをしていたんじゃないのか?すると今度は、どうやって泡姫に許してもらえるのかを考え出す。どうすれば彼女の怒りを買わないのかを考え出した。
 答えの見えない思考の闇の中を一人彷徨っていると、外から足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
 魔断はその足音の主に願う。
 お願いだから立ち止まってほしいと。ノックをしてほしいと。
 無視をしないでほしいと。
 先ほど抱えていた怒りなんてものはどこかに追いやられていた。むしろ自ら忌避していた。あんな感情を抱いていたなんてどうかしていたのだと、それこそ激しく自己嫌悪するぐらいに。
 近づいてくる足音が泡姫の物だと信じ切って疑わないぐらいに。
 彼女のことで頭の中がいっぱいだった。
 控え目なノックが聞こえてきて、いよいよ確信が高まってくる。
 もはや魔断の頭の中は泡姫のことを我が主として待ち望む――飼い主がやってきてくれたとしっぽを振る犬も同然だった。
「おにいちゃん……」
 ドアを開けてそう悲しそうにつぶやいたのは泡姫ではなかった。
「――な、……お前か――」
 盗は見た。
 期待に満ちた瞳で自分を見る魔断を。――そしてそんな彼がうなだれる様を。
 アタイじゃいけなかったの?
 その思いが盗の心を暗くした。
「おかしいよ……」
 その声に魔断はぴくりと反応し、窺うように盗を見上げた。
「なんでおにいちゃんがこんな目にあわなきゃいけないの?」
「なんでって――それは……」
 いつの間にか自分の頭が、「こうなって当然だったんだ」という思いに塗りつぶされていたことに気が付く。
「なんで――だ……?」
「おにいちゃんは何も悪くないよっ?」
 小さな悲鳴交じりに発した盗の声が、魔断の意識を正常なそれへと戻そうとしてくる。
 そして気が付く。
 盗が自分のことを悪くないと、間違っていないと、肯定してくれていることに。
「アタイ馬鹿だからよくわかんないけど、これがおかしいってことぐらいわかるもんっ!」
「盗……」
「――ッ!いけないっ!ごめんねおにいちゃんっ!!」
 急に盗は驚いた表情になると、トイレのドアをしっかりと閉じる間も惜しんで、その場から足音も立てず立ち去って行った。
 どうしたんだ?
 盗の慌て様に疑問を覚えた魔断だったが、その理由に気が付く。
――あいつ本当にシーフの素質あるのかもな……――
 シーフという職業柄、「逃げる」というものも重要なファクターである。
 「逃げる」ことを対象者がこちらに気付くより早く察知する力というものがどうしても必要になってくる。
 魔断も勇者という存在である以上、一般人よりも気配には敏感な方だが、盗は既にその上をいっているのが、今の反応で理解できた。
――さてと……――
 魔断は気を取り直す。
 この状況をどうやって脱出すべきかを改めて考えながら。
 階段を上る足音がトイレのドアが正面に見える位置に来たとき、ほんのわずかにそこに留まった。トイレのドアが完全に閉まっていないことに疑念を抱いたのだろうと魔断は理解する。
 足音はドアの前で立ち止まると、ノックはあきらめたのか、
「開けますよ?」
 魔断へと声をかけてきた。
「――はい」
 魔断は指示に従うように返事をする。
 今度は完全にドアを開き、拘束された魔断を見下ろすように泡姫は立った。
「あの娘ですね?」
「――はい」
 隠しても仕方がないことだ。魔断は短く肯定の言葉を返す。
「まったく困った娘です……。おとなしくテレビを見ているように言いつけておいたのですが」
 完全に子ども扱いだな――魔断は内心苦笑する。
 そして同時に警戒もする。あの敏感な盗が、泡姫を前にして逃げた――ということは、彼女から何かしら感じ取るものがあるということで、その「感じ取れたもの」は彼女を肯定的に見たものではないことは明白で、早い話が「危険である」と認識しての物であることは明らかだ。
「魔断さん――さっきは……その、ごめんなさい。魔断さんの朝食を準備していたんです」
「――へ?」
 突然告げられた先ほど魔弾の前から立ち去った理由に、虚を突かれた思いで間の抜けた声を思わずあげてしまう。
「――?お腹すいてませんか?」
 その問いかけに魔断のお腹がぐぅ~と返事をする。
「あらあら、ごめんなさい。遅くなっちゃいましたね」
 主の意思を無視して主張する腹に、主として気恥ずかしさを覚えると、
「でも、その。ごめんなさい。今の魔断さんの拘束を解くのは――その、怖くって……」
 魔断は思う。それもそうなのかもしれない――と。
 いくら彼女の行っている行為が異常だとは言っても、そこには彼女なりの理由があるのだろう。それに、ここで拒絶したとしても、彼女が拘束を解いてくれるとは思えない。むしろまた放置されてしまうことだろう。そうなると彼女の矛先がどこに向けられるか分からない。もしかしたら、盗を探しに行きお仕置きと称して、自分と同じ目にあわせられる可能性だってある。
 自分の中の考えを素早くまとめていると、
「だから――お詫び……というわけではないのですが、私が食べさせてあげますね?」
 泡姫はそう提案してきた。
 ここで断っても、また放置プレイが始まるだろうと思い魔断は「お願いします」とだけ返すと、泡姫は持ってきていたらしい廊下に置いたままのバスケットに手を入れ目的の物を掴み出すと、魔断にもわかるように見せてくれた。
「――ゆで卵?」
「それとマヨネーズですねー。やっぱり朝はこれを食べないと」
 すでに卵の殻は剥いてある状態で、そのみずみずしい光沢がゆでてそう時間がたっていないことを教えてくれていた。わざわざ自分の為にゆでてくれたのだろうと思うと、魔断は嬉しさを感じずにはいられなかった。
 ゆで卵の上にマヨネーズをかけられるのを黙ってみているだけの魔断だったが、空腹故か校内には唾液がたまっていくのを止められなかった。
「はい、魔断さん。お待たせしましたっ。あ~ん、してください」
 差し出されたゆで卵はまだほんのりと湯気を立ち上らせていた。
 マヨネーズの酸味が鼻孔をくすぐり、喉を一度鳴らすように涎を呑み込むと、魔断はためらいながらも口を開いた。
「あ、あぁ~ん」
「はいっ」
 どこか楽しげに魔弾の口の中に、一口でだべられるだけの卵を差し出してくる泡姫。
 魔断はそれをゆっくりと噛み千切る。中の黄身がこぼれないようにと思ってのことだ。
 泡姫も同じことを気にしたのか、魔断が噛み切るのに合わせて手首を上に向け、中の黄身がこぼれないように気を使っていた。
 噛みつくときの感触で気が付いていたが、中は半熟状態だった。
 マヨネーズのとろみ以上に濃厚な感触が口の中を支配していく。
 噛み砕くたび、舌に絡むようにまとわりつき、喉を過ぎるごとに卵特有の香りが鼻から抜けていく。
 次の一口の前に、泡姫はまたマヨネーズを卵にかけていた。魔断が最初の一口を完全に呑み込むと、再び「あ~ん」と開口を促してくる。
 真正面から口にするには今泡姫が手にしている卵だと入りきらないので、魔断は斜めに食らいつく――と、マヨネーズが逃げてしまい、卵を手にした泡姫の指に引っ付いてしまう。
「――あ、気にしないでくださいね?」
 泡姫はそういうと、残った卵にまたマヨネーズを追加する。
「でも――そのぉ、残さず食べて下さると……嬉しいです」
 上目遣いで泡姫が気恥ずかしげに言いながら残った卵を差し出してくると、魔断は躊躇したものの、彼女の指に付いたマヨネーズも唇でこそぎ取るようにして口の中にいれた。
 その感触にどこか罪悪感めいた甘いしびれが泡姫と魔弾の双方に訪れる。
「――き、気にしないでくださいね?」
 泡姫は繰り返しそういってくれた。
 内心ではまた「おにちく」呼ばわりされるのではないかとひやひやしていたので、魔断にとっては御の字だった。
 その後もサンドイッチを食べさせてもらったり、パックの牛乳をストローで飲ませてもらったりと、魔断は泡姫の手を借りて朝食を平らげていった。
 食べさせてもらっていたから――ということではないと思うが、魔断にはそのすべてが普段口にするものよりも1段も2段もおいしく感じられた。
 もしかしたら、誰かと食事を久しぶりに一緒にしたからかもしれない。
「ありがとう――、おいしかったよ」
 感謝の言葉を告げると、
「いいえ。でも、本当にごめんなさい――。こんな目にあわせてしまって……」
 俯きがちに泡姫が魔断が拘束されたままであることを謝罪する。
「一方的にわかってほしいだなんて、虫のいいことだと分かっていますけれど、許していただけませんか?」
 魔断は内心で思う。これはチャンスかもしれない――と。
 泡姫は後悔しているような口ぶりである。
 だから、それに漬け込むようで若干の後ろめたさを感じるものの、現状を打破するには仕方のないことだと割り切る。
「許す――けど、よければそろそろこれ外してくれないかなぁ。このままだとやっぱり俺もしんどいから――」
 魔断は声を遮られたのではなく、それ以上声を発することが出来なくなっていたから。
 目の前で見てしまったのだ。泡姫のそれまで申し訳なさそうに、それでも許しをこうように弱々しげに微笑んでいた表情が凍てついていくのを。
 背中に緊張感が突き刺さってくる。
 何かがおかしい。
 先ほど盗に言われた言葉が脳裏に蘇ってくる。
「魔断さん――」
 泡姫が魔弾のことを名前で呼んでくれたことでほっとしそうになるも、
「まだ――、『おにちく』成分が抜けてないみたいですね」
 まるで断罪するように冷たく、どこか呆れ交じりにそういうと、
「わかりました。私が僧侶として責任もって、魔断さんの中に溜まっている『おにちく成分』をヌいてみせますっ!」
 意を決したかのように宣言した。
「『おにちく成分』ってなんだよっ」
 思わず魔断はツッコんでいたが、
「『おにちく成分』は『おにちく成分』です」
 取り付く島もなく断言されてしまう。
「大体どうやるんだよっ!どうなったら終わるんだよっ!」
 魔断の中に、どこか背徳的な感情が――言い換えれば、期待といってもよいものが湧きあがってくる。「おにちく成分」が何のことを指しているのかを考え、しかも泡姫はそれを「ヌく」と表現したせいで。
「とりあえずこうして――よいしょっと」
 あろうことか泡姫は、魔断の膝の上に跨り、対面に座ってくる。
 反射的に身体が硬直する魔断。
「これで準備完了です。あとは魔断さんが狼狽えたりしなくなれば、この儀式は完了します」
 突然告げられた「おにちく成分」の除去方法に、
「いや、それって色々終わってるって。むしろ終わるってっ!不能になるってっ!!」
 魔断は叫ぶ以外になかった。
 泡姫を前にして、それもこの至近距離にいて、それでも狼狽えない男がいるのだとしたら、おそらくその人は同性愛者か無感動な精神状態にある人ぐらいだろう。
「不能でいいじゃないですか」
「よくねぇええええええっ!」
 男としての尊厳を奪われようとしている今、精一杯反論するも、
「魔断さん……、うるさい――です」
 短く言い捨てられ、
「うるっ――」
 言葉を続けることができなかった。
 なぜなら言葉を発する口を、泡姫が塞いできたからだ。
 口で。
 ありていにいえば、それはキスだった。
 紛れもないファーストキスだった。
 それは魔断が目を白黒させているうちに終わってしまって、
「身体が反応してますよ?」
 口を離した泡姫からそう告げられた。
「~~~~――~~ッ~~~~~!」
 初めての女の子とのキスがこんな形であったこと、キスで敏感に反応してしまった自分自身、それでも確かに感じた心地よさ。
「なんですその情けない顔は」
「っ!」
 指摘されて、思わず怯んでしまう。泡姫は魔断が「反応しなくなるまで」と言っていたということは、繰り返しキスをされるのかと、期待してしまうことがばれてしまったのではないかと思えば、
「さすがは『おにちく』さんですね?もっとしたいって、顔に書いてありますよ?そういえば、私今のがファーストキスでした」
 正確に見抜かれ指摘されたうえで告げられた彼女の事実に、
「ファーストキスがこんなのでいいのかよっ!」
 懸命に言い返した魔断だったが、
「いいんじゃないですかぁ?なにしろ私キスより先に胸にキスされちゃいましたし――だれかさんに」
 それは誘いであったことを知る。
「――う゛……」
 それを言われてそれ以上反論できるわけもなく、
「そういえば、敏感なところを噛まれもしましたっけ?」
 立て続けに畳み込まれる。
「――え゛ぅっ」
 うめき声をあげ、油断していた魔弾の浅く開いた口を、再び泡姫は自らの口で覆うと、閉じる前に自らの舌を差し入れ、魔断の舌と絡めあった。
 そして自らの咥内に魔断の舌を誘い込み――、
「――ふむ……」
 噛んだ。
 痛みを感じるギリギリ手前ぐらいの加減で。
 それでも敏感なところに急遽訪れた、不意打ちのようなそれに、背徳的な甘い痺れが脊髄をを駆け上がる。魔弾の身体が小さく跳ね上がると、それを押し留めるかのように鎖が陶器でできたタンクとぶつかり合い音を立てた。
 魔断にはもう限界だった。
 泡姫を抱きしめたいという欲情が湧きあがってくる。
 けれども、それは許されない。
 もどかしい――。酷くもどかしい。
「――やっぱりですね」
 口を話泡姫は冷たくそう告げる。
 魔断の意思を代弁するかのように、彼女の唇との間が唾液の糸で繋がっている。
 魔断は冷ややかに告げられるも、もうすでにそれに反応するだけの理性は残されていなかった。
「魔断さん――あなたにはこれからその欲望と戦っていただきます。それを飼い馴らすことができれたとき、あなたの『おにちく』成分はどこかに消え去ってしまうことでしょう」
 もっともらしいことを言いながら、泡姫は首を伸ばし彼女の唇を求める魔断の唇に応えるように近づけ――、
「なにやってるのっ!!」
 不意に後ろから声をかけられた。
 その声はどこか緊張感が張りつめていて、それゆえに決意の強さを感じさせるものだった。
 なにより泡姫の身体が驚きで小さく跳ねる。
 泡姫は声の主――盗へとゆっくり首だけを捻って確認しながら、
「てっきり逃げ出したものだと思ってたのに――」
 冷淡さを保ちながらそう告げるも、
「泡姫ちゃんやっぱりおかしいよっ!どうしたってのさっ!しっかりしてよっ!!お兄ちゃんもっ!!!」
 涙交じりに発した声は、トイレの中に充満するようにあった淫猥な空気を一蹴した。
「「――あ……」」
 魔断と泡姫の声が重なる。
 我に返った。
 その声がその事実を告げると、
「――ッ~~~」
 泡姫は羞恥故か、逃げ出すようにその場から出て行ってしまう。
 呆然と彼女を見送っていた二人だったが、
「おいっ、盗っ!これ外せないかっ!!」
 魔断は鎖をタンクにわざとぶつけて、その存在を主張する。
「ま、まって」
 盗は小柄な体を生かして、狭いスペースに入り込み鍵を確認すると、そこにあったのは幸い市販の南京錠だった。
「これならすぐだよっ!」
「いそげっ」
「う、うんっ」
 盗は髪に刺していた髪留めを外すと、あっという間に南京錠のカギを外した。
「――すげぇな、お前」
「え?えへへへへ」
 素直に感心し褒める魔断に思わず照れてしまう。
 理由や動機はどうであれ、今この時ばかりはとてもありがたいスキルだった。
「泡姫――なんかおかしかったよな?」
「う、うん。我に返ったみたいなかんじだった」
 二人で認識を再確認すると、
「追いかけようっ」
「だねっ!」
 二人もトイレから飛び出した。
「でも、どうするのさっ!」
「なにがだよっ!」
 家を出て、道を二人一緒に走りながら盗は訊ねる。
「とりあえず走ってるけど、泡姫ちゃん探さなきゃでしょっ?!」
「いや、そうだけど――ああ、そうか」
 魔断は走りながら納得したように頷くと、
「当てもなく走ってるわけじゃないよ。泡姫のいる方向に向かってちゃんと走っているから安心しろっ!」
「へ?何でわかるのさ」
 盗の疑念は自然なものだったが、
「せっかくだからレッスン2だなっ」
「レッスン?」
 その種を魔断が教えてくれた。
「俺たちパーティー組んだままだろ?だったら、意識を泡姫に向けてみろっ!」
「そ、そんなこと言われてもぉっ」
「あ、そうだ。話しかけないように注意しろよ?話しかければパーティー組んだままだってことがばれちまう。そうなったら、泡姫――パーティ解体しちまうかもっ」
「む、難しいこといわないでぇ」
「大丈夫だってっ。泡姫どこかなぁ~って考えるだけだって」
「え、ええぇっ?!あ、泡姫ちゃんどこぉ~」
 すると盗の脳裏に、泡姫のいる場所が具体的に見えた。
 といっても、泡姫の視界が自分の眼に映ったわけではなく、自分の知っている町の地図に彼女を示すマーカーのようなものが移動しているのが分かったのだ。
「な、なにこれっ!地図っ、地図がでたよっ!」
「そりゃいい――それ、自分が言ったことない場所だと、地図にならないからなっ!」
「な、なるほどぉ~」
 走り続けることしばし。
 泡姫も無目的に走りまわっていたわけではないらしく、とあるところでその動きが止まったようになった。それでも泡姫を意識してみれば、彼女のマーカーが僅かながらに動いているのが分かる。
「建物に入ったみたいだなっ!」
「あ、なるほどっ!」
 地図はあくまでも直情から正方位式に描かれたものだった。
 だから、立体的に移動したところでその縦軸から動かなければ上下に移動していても、移動していないように見える。わずかながらに動いているということは、階段を上がっているか、落ち着きなく同じところをぐるぐる回っているといったところだろうか。
 そして魔断と盗は辿り着いた。
 泡姫がいる建物に。
 そこは一軒家で――、表札には「僧侶」と書かれていた。



○○で何が悪いっ! 第6話

「なあ?」
「んあ?」
 魔断は目の前にいる盗に訊ねる。
「俺絶対泡姫から名字や名前で呼ばれるよりも『おにちく』って呼ばれている回数のほうがおおいよなぁ……」
 深く、深くため息を吐く彼に、しばし考え込むように天井を見上げながら「む~」と唸り声をかけて彼女が弾き出した言葉は、
「んなもん、アタイにゃ知ったこっちゃねぇし?――それよりもパーティーのこと教えてくれよぉ、昨日の夜約束しただろぉ~?はやくはやくぅ~」
 実に彼女の欲望に忠実な一言だった。
 とはいえ特段そのことに魔断はショックを受けてなどいない。
 そもそもが心ここに在らず状態なのである。盗への問いかけもほとんど無意志に、空回りする思考から弾き出された独り言に過ぎない。
「――はぁ……」
 そしてこのため息も――が、
「無視すんなしっ!!」
「でっ!おまっ、盗っ!何すんだよっ!」
「何すんだよじゃないだろぉ~。泡姫ちゃんがいってたじゃんっ!
『私居候の身ですし、せめて朝ごはんの支度をさせていただきますから、代わりというわけではないですけれど、『おにちく』さんが盗さんにパーティーの説明をしていただいてもいいですか?』ってさぁっ!
 だから、おせーてよぉ~おせーてよぉ~。
 教えてくれないと、泡姫ちゃんにいうからなぁ~?」
 先ほどはたかれた頭をさすりながら魔断が、「なんてだよ?」と尋ねると、
「おっぱい触られたっていうっ!!」
 見るも無残な文字通りのまっ平らな胸板を逸らして「ふふん」とどこか誇らしげに語る盗。
 普段なら、「触れる胸もねぇだろ……」となるところかもしれないが、
「それだけは――、それだけは勘弁してください……」
 魔断に対しては効果は抜群だった。
 なにしろまた「おにちく」さん呼ばわりされてしまうことになってしまう。
 すでに、起床したときの朝の挨拶から、「あ、『おにちく』さん。おはようございます」で始まっているので、これ以上エンカウント率を上げてしまうわけにはいかない魔断は、この一点に関して非常にナーバスになってしまっている。
 といっても、非常に難しい。
 なにしろ自発的なことではないのだ。
 それでも、同じフレーズを繰り返され続ければ、「もしかしたら自分が悪いのかも……」と自分に対する疑念が若干首をもたげ始めているのも事実。結局は消極的な解決策として、余計な疑念を抱かせないように、品行方正に努めるしかないという結論しか見出せなかった。
「考えててもしかたねぇか」
「ん?なにがぁ~?」
 「なんでもないよ」と首を振って盗に向き直る。
「んじゃあ、さっそくだけど。一番簡単なのからな?――っていうか、便利なの……か」
「おおっ!簡単で便利とかサイキョーじゃんっ!」
「なんかよさげなのを『サイキョー』とか、お前は小学生男子かっ?!」
「いいからいいから、細かいことはいいからさぁ~、教えてよぉ~」
 魔断の眼にはありもしないしっぽをぶんぶか振っている盗の姿が見えたような気がした。
――ちなみに、こんなカンジな?――
「?!」
 魔断が念じたことがダイレクトに頭へ届いてきたことに驚いた盗は目を白黒させる。
「なっ、なにっ、今のっ!聞こえたっ!お兄ちゃんの声が聞こえたよぉっ!」
「お~、聴こえたか聴こえたか。ちなみにこれがパーティー間だけでできる会話だ――早い話がテレパシーだな」
「う、うわぁ~。てれぱしぃーとか、ちょーかっけぇ……」
「だから、小学生かと……」
 感動に打ち震える盗はすぐに魔断に掴みかかるようにして、
「ねぇどうやったのっ!どうやったのぉっ!!」
 純真そのものといった瞳をキラキラと輝かせてやり方をせがむ。
「わかった、わかったって。とりあえず頭で思ったこといってみろ」
 そこで盗の動きがぴたりと止まった。
「え、ええっ。そ、そんな、そんな急にいわれてもぉ」
 なぜかもじもじと内股になり太ももを擦り合わせるようにする盗。
「――我慢しないでいってこい、まってるから」
「ちがうよぉっ!!」
「違うのか?――なら、ほれ。とっととやれ」
「う、うぅ~」
「難しくないだろ?簡単だろ?それがまずは第一歩だから、とりあえず思っていることでいいからさ」
「――わかった……」
 盗は深呼吸を3度繰り返すと、ごくりと唾を呑み込み――言った。
「好き――」
「――……?…………はい?」
「だから、その――好きだよ?お兄ちゃんのこと……」
「――――――――――?」
 盗が何を言ったのかがいまいちピンとこない魔断であったが、どこか浮かされたような視線に気が付き、思考の歯車が叩きつけ合うように噛みあう。
「えっ、ちょっ、おまっ、なんでそんなこといってんのっ?!」
「だ、だだだ、だっていったじゃんっ!『頭で思っていること言え』って――」
「ば、ばばば、バカっ!ちげぇよっ!テレパシーの話してたじゃんっ!だから、『頭の中だけで思っていることを言え』って意味だって分かるだろっ!そうだろっ!!」
「じゃぁ最初からいってよぉ~っ!!」
 盗の顔が真っ赤になり、その目尻には恥ずかしさの為か涙まで浮かび上がってきた。
「ち、ちちち、違うんだからねっ!こ、こここ、告白とかじゃないんだからぁっ!ついなんだから――じゃなくて、うっかりなんだから――でもなくて、騙そうとしただけなんだからぁっ――これも違くって!!」
「違うのかよっ!」
「だって嘘じゃないもんっ!」
「な゛――」
 改めて魔弾の思考が遠のく。
――あれ?これってどゆこと?俺のこと好きって――しかも嘘じゃないって??あれ?――
「違うのぉっ、違うのぉっ!違わないけど違うのぉっ!分かってよぉ~むしろ解かれぇ~っ」
「無茶苦茶だなっ!!」
――お兄ちゃんのこと好きなの……ほんとだもん…………――
「え゛……」
 まさかテレパシーで帰ってくるとは思わなかった魔断は、あんぐりと口を開けて盗を見る。
――もう……いいもん、好きだもん。お兄ちゃんのこと好きだもんっ!口ではうまく説明できないけれど、思っていることが伝わるんなら、アタイにだってできるんだもん……だから、だからぁ…………おねがい…………――
「――――――――――――」
 怒っているのか、澄ましているつもりなのか分からないような真っ赤な顔で目を閉じている盗が、魔断の顔へ向けて顎を若干突き上げた。
 キス――それは魔断にとってファーストキスで。
 欲望の二文字は主である魔断に対して、「やっちまえよぉっ!向こうがいいっていいってんだぞっ!」、「大丈夫っ!泡姫嬢にはバレやしねぇってっ!!」などと囁く一方、理性さんは「だめだろっ!こんな純情をもてあそぶようなことをしたらっ!」、「もしキスをするんなら、彼女の一生を見守る覚悟でやれよっ!」と囁いてくる。
 そんな脳内会議という葛藤ゆえに動けずにいる魔断へ、
――はやくぅ、はやくぅ、お兄ちゃぁん……。アタイもぉ、これ……恥ずかしいんだよぉ――
 「なあ、同志たる『理性』よ?」、「なんだ『欲望』よ?」、「人助けだよ、これ」、「おまっ、そんな屁理屈――」、「人助けだろ?このままだとこの娘、泣いちまうぞ?それにただでさえ恥ずかしくって震えてるのに――、かわいそうだろ?」、「う、うぅ――む……人助け、人助けなら、ま、まあ――な?」
 脳内会議に決着が付いた模様です。
 魔断が盗の細い肩に手を伸ばす。
 あと3センチ。彼女の火照った体温を感じるにすぎないのに、心臓がバクバクと音を立てる。
 早く抱きしめたい。そして――、
――おにちく――
 途端夢から醒めたように魔弾の身体がびくりと跳ねた。聞こえたのだ、魔断の脳裏にだけしっかりと、泡姫の声が。
 教えている途中だったので泡姫には伝えきれてなかったが、パーティーチャットにはこういう応用が可能なのだ。パーティー関内の個人対個人だけのテレパシーが。
 そして魔断は見た。
 自分の部屋のドアが音もなくゆっくりと開かれ、そこから前髪の陰に隠れてもなお怪しく光る片方の瞳が覗きこむところを。
――ひぃ~~~っ――
 汗腺という汗腺から脂ぎった汗が滲み出してくる。
 遅れて小刻みに身体を震わせ始めたころ、何の反応もなくなったことに気落ちした様子で盗が瞳を開けると、目の前の魔弾の異変に気が付いた。
 彼の視線がある一点に釘付けになっていたので、自分もその先を何気なく追って――後悔した。
「はわわわわわわわわわわわわ」
 続けて震えだす盗。
 二人が気が付いたことに気付いたのか、ドアが完全に開かれるとそこには――、
「ブラックちゃん」
「まて、いつからそれが正式名称になったっ!!」
「――ブラック……ちゃん?」
「ちがっ、違うのぉっ!泡姫ちゃんどうしたのぉっ?!アタイなにも、なにもしてないよっ?!」
「――そう?あ、そうそう。盗ちゃん?朝ごはんで来てるから――」
 続く言葉に戦慄する二人。
「――真っ黒になる前に食べちゃってね?」
――新しいッ!!――
 魔断と盗の心の叫びがハモる。とはいっても、各々が胸中で思っただけなので意思の疎通には至らず、二人がその事実を知ることはないが。それにしても、なんという脅し文句だ。
「は、はいぃ~」
 答えるが早いが、盗はそそくさと廊下へ抜け出し、もうダッシュで階下へと降りて行った。
「それで、『おにちく』さん?」
「は、はひっ」
 完全に声が裏返ってしまっていた。
「なにをしようとしていたんですか?」
「な、なにって……」
「なるほど、いえないようなことですか」
「結論早すぎるでしょっ?!」
 言い澱みすら許されないこの状況に戦慄さえ覚える魔断。
「なるほどなるほど。わかりました」
「わかってくれたのっ?!むしろ何が分かったのっ!!」
「再教育が必要?」
「なんで疑問形っ?!むしろいらないよっ?!大丈夫だよっ!してないよっ」
「ようするに未遂――っと」
「待って」
「待ちました」
「だから早いなっ!ちょっとまって、だから待ってって、引き摺らないでお願いだからぁ」
 言われるがままに勇者は首根っこを僧侶に掴まれて、個室へと連行されていくのだった。