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極小の中にあふれる無限68

 現在、王が空位であり、その娘である王女が王権制度の終焉を示唆したこの国で、フルーリーは何も病室にだけ顔を出し続けていられたわけではない。
 周辺各国や、国連関係など、様々な分野において関連のある人々と、決して少なくはない言葉を交わす必要があった。
 そうしてフルーリーは、そのことごとくを適切に対応してみせた。
 表向きには王の不在に対する悲しみの声に対する対応ではあったが、その多くが国の内情を少しでも知りたいとするもの。そういった外交においても、フルーリーは適切な対応をしてみせたのだ。
 例えば、王との会話にだけ出ていたような、言ってしまえば口約束のような交渉を、フルーリーの口から語ることによって、案にそれは国の王女が知りうるほどには、この国の者たちが知っているという風に思わせたし、何よりそれを知っている者が一人でもいるということで、うやむやにしようとすることを防いだ。
 それでいて、この国の不利益につながりそうなことであれば、「存じ上げておりませんでしたわ」と、答える。
 そして、「検討させていただけませんか?」という形で終わらせる。
 彼女の内情を知るものであれば、「女狐」などと吐き捨てたくなるような、この国にとっての利益を優先したその交渉術に気付くものは、その実誰もいなかった。
 一番彼女の内情に近いところにいるスロウスは、何しろまだ眠ったままなのだから。
 世の中というものが、基本的には事がうまく運ばないようにできていることを彼女は知っている。十人十色というように、個々の思惑が異なるからだ。
 人々はそれに対して、自己に対する実利で評価する。利害の一致というやつだ。
 旨みがあれば、それに乗ろう。当然ではある。
 旨みもなく、他人のためにただ働きなどをすることはまずない。
 例えば、募金。
 これだって見ようによっては、「自己満足を買うための行為」としてみれば、そこに意義も生まれる。満足感を変えるのだから。
 その満足感も、他人が驚くような額にまで登れば、更に尊敬などの眼差しで見られることになる。そうして生まれた少なくない関係性は、長い目で見たときに大いなる利潤をもたらすことだってある。
 ――とはいえ、当然のオチとして、結果として救われる誰か入るのだから、その思惑がどうであれ、その結果は間違いなく安くない価値のある行為に違いはないのだ。
 それはともかくとして、利害がある程度の一致を見ないことには、協力を取り付けられないのだ。
 敵の敵は味方――とはいうが、敵の敵も所詮は敵に過ぎないことだってあるのだ。
 ご馳走を見る彼らは、ご馳走を敵だとは思わない。
 旨みのある物にすぎない。
 しかしそれが、自分の目の前に配膳されてきたものではなく、ビュッフェ形式のように会場の中に運ばれてきたのであれば、そこには周りとの関係性が否応にも生じてしまう。
 皆が食べたいその魅惑のご馳走は、ほかの者たちよりもできることならたくさん胃袋の中に収めたい。
 ――しかし。
 それをすることをマナーという公のルールがあることで、その我欲を抑制させることが、ある程度であればできる。
 皆がたくさんほしいからこそ、皆にいきわたるように自己を律してとりわけなければ、ほかの者たちからバッシングを受けてしまう。
 中にはバッシングを介さないものもいるだろうし、そもそもバッシングが生まれ得ないほどの権力を有するものもいるだろう。
 けれども、皆が腹の中で思うのだ。
 面白くない――と。
 そのわずかな感情が、その人物の権力を削り取ることだってあるだろう。
 だからみながけん制しながら、己の有利性や、正当性を示して、合理的に、合法的に、それが自らのものであることを声高に叫ぶのだ。
 不思議なことに、ルールというものが存在すると、それを逸脱することに対して自己嫌悪を覚えるのが、人というものだ。
 知らなかったのなら、また知らずにいられるのなら、それは生まれ得ないはずなのに、一度それが悪いことなのだと指摘されてしまうと、途端に恥ずかしくなるし、申し訳なさややるせなさが沸いてくる。
 ようするに、知らないということは、ある意味では自己の精神を護るうえでは、――自己の正当性を護るためには必要なことであることもあるのだ。
 そう、今このシュタル国は、周りの者たちからは「ご馳走」のようにしか見えない状況にあるのだった。

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